僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

少年の記憶(3)

 小6の夏休みだった。同級生H君の家近くに発電所ができたということを聞いた。

 彼の住んでいる集落は僕らの集落よりさらに2キロほども山奥へ入った谷川沿いにあった。そこには3軒の民家しかなく途中に民家もないことから、電力会社も電柱を敷くより発電所を作る方が安上がりだったのだろう。

 いつも一緒に遊んでいる友だち3人で見に行くことにした。

 H君の家の前で、大声で騒ぎ遊んでいる子どもの中にH君がいるのを見つけた。

 H君が年長らしく大声で皆を追い回している。

 僕も同行した友だちもわが目を疑った。H君は学校では一言も声を出さなかった。

 授業中も遊ぶときも声を出さなかった。笑うときも声を出さずに笑った。

 4年生の国語の時間だった。1人ずつ順番に音読していた。彼の順番が来たとき、彼は広げた本を持って立ち上がったまま黙っていた。

 普段は指名しても本人が読まないと分かった時点で次の生徒に移っていたのに、その日の先生は強制しようとした。H君は泣き出したが声はでなかった。

 声が出ないのに無理強いしていると思いH君に同情した。同級生皆が、いじめるようなことをせず、そっとしているのに先生がいじめていると思った。

 

 なぜ、声をださなくなったのか、僕には思い当たる節があった。

 小学校の入学式のときを1人ずつ氏名を呼ばれ「はい」と返事して立ち上がっていった。

1人だけ「うん」と言って式場にいた皆がドッと笑った、あの生徒がH君だった。

彼にとってはとてつもない衝撃だったのだろう、以後声を発することはなかった。

 

 家の前で遊んでいたH君は僕らを見つけると急に静かになった。

発電所はどこにできた?」

 僕が聞いた。

発電所?」

 H君は滑らかな口調で僕らに応え、怪訝な顔をしていたが黙って歩き出した。

 納屋の裏に流れている溝に僕らを案内した。谷の奥から水を導く疎水であった。幅と深さは50センチほどで蓋はなかった。水は勢いよく流れていた。

「ここや」

 H君が指さしたのは溝の先端にある犬小屋みたいな小屋であった。

「これで3軒の家に電燈が点いたんやで、電力会社が造ってくれたんや」

 初めて聞く彼の声は小さく優しい声だった。

 小屋に耳を当てるとブーンと静かな音がしていた。発電機が入っているらしい。

 発電所ではなく発電装置だった。大きな電力会社がこんな小さな発電装置を作ることが不思議だった。

 それにしても溝の落差が小さいのに驚いた。この程度の水流で電気が点くということが理解できなかった。

「H君が話しをしたなあ」

 帰路、僕らは感慨深かった。衝撃を受けていた。小学校入学から6年の今まで一言も声を発しない彼を、声が出ないと思っていた。そうではなく自分の意志で声を封じていたのだ。

 

 以後、彼のダンマリは続き卒業式にも声を発しなかった。

 中学生になると返事程度は数回聞くようになったが卒業するまでほとんど声を聞かなかった。

 社会人になった彼はどのような人生を歩んだのだろうか。

 どんなことがあっても決して声をださなかった意思の強い彼のことだ、りっぱな人生を歩んでいることだろう。

 

 今、グーグルアースで彼の家のあった集落を見ると、民家は一軒もなく田畑もすべてが集落ごと山に還っていた。

 グーグルのストリートビューで道をたどろうとしたら、H君の集落のあった谷への入り口が「これより先は私有地に付き立ち入り禁止」の看板がありフェンスで閉鎖されていた。