僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

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 まもなく盆になる。

 幼少年時、盆を前にして裏山から竹を切り出して花立と線香立を作った、僕と次兄の担当だ。竹の2節を中にしてその両外側の中間を切り離し、節の内側は左右別方向から径の半分までノコギリ目を入れ、一方を持って地で軽く叩くと2つの花立ができた。

 50セットの花立と、線香立てを作るのは1日作業だったが、待ちに待った盆が来るという楽しみの一環だ。

 出来上がったものは負い籠に入れていった。

 祖母と母はビシャコを採りに山に行っている。

 翌日、家族総出で墓掃除に行った。600年近く続いているわが家の墓には山の中腹に造った2段の墓地に50柱を超える墓石が並んでいた。墓地全体を覆う大きなヤマモモの木の陰になって直射日光は当たらないが真夏の暑さで汗をボトボト垂らしながら落ち葉を熊手でかき集めた。それでも年中木陰になり草は生えていないので作業は楽だった。

 半日かかって掃除を済ますと、墓石一柱ずつに竹で新しく作った花立二本と線香立てをセットにして立てた。

 僕が山を下りて下の川から汲んできた水を花立に入れ、昨日山で集めてきたビシャコ(仏事に使う緑の葉)を立て、線香2本ずつを供えて終わり、あとは盆を待つだけだ。

 盆入りの夕方には墓参りに行っていた。

 一般的には「ご先祖さまをわが家に迎えるため」と言われているが、わが家では少し意味が違っていたように思う。わが家ではご先祖さまを家に連れ帰らないのだ。仏壇に共物や膳を並べ念仏を唱えるが、あくまでも仏壇を通してご先祖さまに食べていただくという考えのようだった。

 だから、盆の間毎日家族総出で夕方の墓参りを続けた。

 これは、祖母の間違いであるかもしれない、あるいは宗派の違いによるものか。いや、間違いだったとは言えない、正しい方法なんてないのだから、祖母の考えが変わっていたというべきだろう。

 祖母は神仏を敬い、毎朝、顔を洗い清めてから八百万(やおよろず)の神様を拝み、夕方には仏壇の前に座って木魚を叩きながら念仏を唱えた。

 集落にあった3軒の寺で法要があるときは必ず出かけ、隣町の寺であっても自分の足で行くことのできる寺にはお参りしていた。ただし、祖母がお参りするのは真言宗、浄土宗と禅宗だけでそれ以外の法要には見向きもしなかった。

 わが家の菩提寺は歩けば半日かかる山の中にあったが、法要の日には朝暗いうちに家を出て、夜遅く帰ってきた。

 これだけ信心深い祖母だから間違えるはずはないと思っていたが、やはり祖母は勘違いしていたのかも知れない。でも先祖を敬う気持ちは際限がなかった。

 盆には盆踊りがあった。

 新しい下駄と数年に一度買ってもらう浴衣を着て朝まで躍りあかした。

 当時は集落に50軒ほどの家があったから踊りも盛大に行われた。

 家では、盆の日には盆ダンゴを食べる風習があり、三食とも盆ダンゴが主食になった。

 

 今でも盆が来ると盆ダンゴを食べたくなる。

 去年は自分で米粉を買ってきて自分で作り一人で食べた、家族は誰も見向きもしない。

さあ、今年も盆ダンゴを食べるぞ。

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 8月13日(日)夕方、女房と二人で墓参に行った、これからが盆である。

 家に帰ると仏壇に共物を供え燈明と線香を点けて合掌。特に信仰心が篤いとは思わないが行事としては一応やっておきたい。

 娘家族は仏壇に手を合わせることもなく3泊4日の信州旅行に行っている。普段は近くで生活し常に行き来しているのだからそれも良いだろう。

 女房と二人で普段と変わらない夕食を済ませた。

 8月14日(月)

 昨日購入していた「米粉」で僕がダンゴを造りきな粉を付けて食した。

 女房がインスタントうどん2つをテーブルに置いた。ダンゴだけでは物足りないと思ったのであろう。

「なんとも簡素な盆会食やな」

 二人は笑って昼食とした。

 盆と言っても盆踊りはない、この地域では8月23日の地蔵盆に踊る。

 8月15日(火)

 朝、仏壇に手を合わせてからドライブに出発した。ご先祖さまを家に呼んでいながら留守にするとは罰当たりではあるが、これがわが家のスタイルだ。

 8月16日(水)

 夕方、墓参りして盆は終わりだ。