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僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

神になった二宮金次郎像

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 昨日、女房とその友達二人を連れて近くの温泉へ日帰り入浴に行った。

 そこは山村の廃校になった小学校を市の研修施設にするべく、校舎を宿泊施設に建て替えたものの体育館と運動場はそのまま残している。

 宿泊施設を作るには水が必要だということで、ボーリングしたら温泉が出たことから日帰り入浴のできる温泉になった。

 泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で入浴するとヌルッとした気持ちのいい美人の湯である。

 入浴時間を1時間の約束で別れたものの僕は40分で出てしまった。

 女房たちは出てくる気配もない。

 暇つぶしに運動場をぶらついていると山際に二宮金次郎像が残っていた。戦前から戦時中にかけて多くの小学校に立てられた像だ。

 写真を撮るべく近くに寄ると像の前に賽銭箱が置いてあった。

二宮金次郎像は信仰の対象だったのか」と奇異に感じた。

 帰宅後Webで調べると、江戸末期のころ、裕福な農家であったが水害で田畑を流されたため生活はどん底に落ちこみ両親は過労で死去、金次郎は叔父の家に引き取られた。

 叔父の家で朝から晩まで働きながらも勉強を続け、若くして家を再興した。

 やがては藩の財政を立て直し、幕府にも抜擢されて活躍した人である。

 僕の、母校の二宮金次郎は戦時中金属として供出したため銅像はなく、当時の天皇皇后両陛下の写真を祭っている奉安殿があったという高石垣の横に台座だけが残っていた。

 それでも二宮金次郎の物語は国語の教科書に出ていた。うろ覚えではあるが、僕の記憶では「どん底の貧乏だった金次郎は働きながらも勉強して偉い人になった」という程度の認識しかなく信仰の対象ではないと思っていた。

 それが、今目にしている二宮金次郎像は賽銭箱を置いているから信仰の対象としているのだろう。

 不思議だった。ところが小田原市には報徳二宮神社があり二宮尊徳を祀ってあることを知り、

僕が感じた奇異は間違いで通常のことらしいと納得した。

 だが待てよ、この錆びついてボロボロになった銅像の、修理のための寄付集めではないのかな。