僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

マツタケ

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「そろそろマツタケの時期も終わりだ」と言っても少年時の話である。

 当時、10月中旬のほんの10日間ほど村を取り巻く山にマツタケが生えた。

 早朝に学校のカバンを背負って祖母とともに山に入り、マツタケを採ってから学校へ行く日が続いた。それでも1回の収穫は数本であった。

 中学生のある日、「隣町の八百屋で、自分の山を持って毎年マツタケを売っていた店が閉店した。おやじさんは息子のところへ引き取られて行った。あの山には大量のマツタケが生えるはずだ」ということを兄が高校の友から聞いてきた。

 僕の家からは、それほど遠くない場所だ。

「日暮れを見計らって行けばいい」

 兄と母が小さな声で話していた。

 結局、兄と僕の二人で行くことになった。もし見つかれば山の中を走って逃げなければならないからだ。

 兄が1斗袋(米約15キロを入れる木綿の袋)を持って、近所の人に見つからないよう家の裏山へ登った。

 標高では50メートルほどしかない山だから難なく尾根に出て、道の無い尾根を伝って目指すマツタケ山に着いた。

 兄は身をかがめ周辺に人がいないことを確認してから縄張りの中に入った。

すでに薄暗くなっている。

「こんなんじゃ見えないよ」

僕がぼやいたとき、

「斜面の下から見上げればいい」

兄が教えてくれた。

「あった、あるある」

薄暗いなか斜面のあちこちに幻想的なほどマツタケの笠の下が白く浮かんでいる。

10分ほどで袋がいっぱいになった。

「帰るぞ」

 兄が小さな声で合図してサンタクロースみたいに大きく膨らんだ袋を担いだ。

 獣道のようにシダで隠れた山道を掻き分けて兄が下っていく。懐中電灯は兄が持っているため僕は真っ暗な山道を歩かなければならない、できるだけ兄に近づいて歩くしかなかった。

夕食はマツタケづくしだった。吸い物、炊き込みご飯、炭火焼きすべてマツタケだ。

当時、僕の住んでいる集落では、おすそ分けという風習がなかった。

「めぐんでもらう理由はない」と受け取るほうが嫌がったからである。

冷蔵庫も無い時代だから保存がきかない、だから一気に食べる必要があった。翌日はマツタケのすき焼きだ。

10月31日の夜から始まる村祭りには、親戚の叔父や叔母を招待しているのでマツタケを残しておきたい祖母は厚さ2ミリほどの縦切りスライスにして日陰干しをしていた。

祭りの日、座敷に高膳を据えて会食する。

「あれ、マツタケだ」

 びっくりする客に祖母が保存の仕方を得意そうに説明していた。母と僕ら兄弟は口を閉じ黙って聞いているだけである。

 翌年、時期を見計らってそのマツタケ山に行くと、松の木はすべて伐採されハゲ山になっていた。僕も1斗袋を持ってきたのに手ぶらで帰らなければならなかった。

 この話はマツタケの季節が来るとよく思い出す。そして女房と二人で寿司屋へ行き、マツタケ入りの土瓶蒸しを注文するのがささやかなぜいたくであった。

 今年は、マツタケの姿さえ見ることなく終わりそうだ。