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僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

聖徳太子及び大化の改新が教科書から消える?!

 ウォーキングしながらラジオを聞いていると、「聖徳太子及び大化の改新が教科書から消える」という驚愕する話が飛び込んできた。

「嘘だろ」僕は思った。

 小学6年のとき、歴史の授業で30人いたクラスを飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の6班に分けて、それぞれの時代にどのような事柄があったのかを発表した。リーダーは各班とも先生が指名し、僕の班は僕より成績のいい女の子だ。

 僕のチームは飛鳥時代だった。

 発表の日、黒板に貼った大きな年表を前に僕の班のリーダーが発表を始めると、突然先生が怒り出した。

飛鳥時代で1番大きな大化の改新が漏れている、いったいお前らは何を勉強したんや」

 先生に言われてみると645年の大化の改新が書いてない。

 604年の17条の憲法、607年の遣隋使、法隆寺の建立等聖徳太子の偉業は書いているのに大化の改新を書くのを忘れていたのだ。

 リーダーは泣き出した。僕らは黙って頭を下げているだけだ。

 先生はいつも使っている細い竹棒で一人ずつ頭をコンと叩き「もういい」と発表の中止を言い渡した。

 僕らは黒板の年表を外し、すごすごと自分の席に戻った。

 これほどの苦い経験をしているから、645年の大化の改新はくっきりと頭の中に入っている。

 ところが最近の教科書では、645年に中大兄皇子中臣鎌足と協力して蘇我氏を滅亡させた政変を大化の改新と呼ばず乙巳の変(いっしのへん)に変わっていた。さらに聖徳太子の存在を疑問視する説が有力らしい。旧1万円札にもなっていた聖徳太子さえも消えようとしている。

 どうもわからん。

ふるさと

 中学3年のとき、「30年後の村」というテーマで作文を書かされた。僕らが住んでいる村は30年後にはどのようになっているのかということを作文にし、クラス全員の前で発表をした。

 僕は、「村の道路や小道すべてが2階建てになり2階部分が車や人の通行する場所で、1階部分は地下に埋もれて電気、水道、ガス、排水などを通すトンネルになり、これらを点検修理する地下道には道路標識もある」と書いた。

 級友の発表はその大方を忘れてしまったが、記憶に残っているのが2人いる。

1人は「小学校から大学まで自動的に上がり入学試験は無くなる」と発表し、もう1人は「東京大阪間を1時間で走る弾丸列車が日本海をも縦断する」というものであった。

 この2人の発表は僕の発想と同じであったため今でもはっきり覚えている。

 当時僕らは中学3年生でこれから迎える高校入試の精神的負担に悩まされている時期であった。「入試、入社試験のない社会」に憬れていた。

 弾丸列車は、少年向け月刊誌のグラビアに出ていた「30年後の鉄道」からの発想で日本を取り巻く海の中に施設したチューブ状のトンネルの中を弾丸列車が走る、というものであった。

 弾丸列車は自走式ではなく圧縮空気で押し飛ばされる方式だった。

 後年、僕が大人になってから利用した、あるホテルの料金搬送システムは壁の中に設置されたチューブの中を筒がフロントと客室との間を圧縮空気により行ったり来たりして料金を支払い、領収書を受け取っていた。これを見たとき少年時に抱いていた弾丸列車と同じ発想だと気づいた。

あれから50年経った。

 僕らの予想は見事に外れたばかりか、誰も想像さえしなかった過疎化に襲われている。

 村の人口、家屋も激減し廃屋、空き地が目立ち山に吸収されて場所さえ特定できなくなった家が増えている。

 限界集落に陥るとは誰1人として想像だにしなかった。

 

 

 

他人の死

 腰痛はなんとか克服している、歩くことに支障はない。

 5人グループで長居公園へ行った。園内を一周歩き、焼きたてパン屋で昼食のあとあびこ観音寺までウォーキング、久しぶりに1万5000歩に達した。

 

 園内周回コース横に続く林の、楠木の下に花が供されていた。

 おそらく昨夜にでも首つり自殺があったのだろう。

浜寺公園も多いよ」

 毎朝暗いうちからウォーキングに行っているグループの1人が言った。

「救急車が来てもすぐには降ろさない、ぶら下がったままカバーを被せて警察を待っている」

 ごく日常茶飯事の会話として他人の死を捉えている。僕だってそうだ。

    だが、幼小児の死については、たとえ他人であっても可哀そうで胸が痛む、テレビ等の報道からも目を背け、知ったことを後悔する。

  いつだったか、アニメの「火垂るの墓」を視た。戦争中孤児になった14歳の兄と4歳の妹が必死に生きようとしながらも餓死していくというものであった。

 あまりにも衝撃的で残酷な結末に僕の心はくじけ悲しみに落ちた。

 視たことを後悔した。そして幼い子供を死なせた作者(著者)を恨んだ。

 

 

 

 

 

 

僕はこうして腰痛を克服した

 23歳のとき水泳教室の準備運動で、「立ったまま上半身の力を抜いて前屈しなさい」と言われ、そのとおりにしたとき、グツッと音がして強烈な痛みが腰を襲ってきた。

 2日間寝込んで3日目、医院でレントゲンを撮ると「ギックリ腰ではない」という診断だった。痛みも関節の蝶番が錆びているような痛さであった、立ち上がったとき、ゆっくりと慎重に腰を伸ばさなければならなかったが、伸びてしまえば痛みもなく普通の動きができた。

 以後、年に数回痛みは襲ってきたが2、3日寝ているだけで治っていた。

 70歳のとき、今までとは明らかに違う痛さに襲われた。関節の内部が強烈に痛く動くこともできない。

3日目の夕方、少し動けるようになったので整形外科クリニックでレントゲンを撮った。

「脊髄第三関節の軟骨がほとんどない、だが、これは最近のものではない、どうしょうもないな、痛いときに痛みを取るしかない」

 というつれない診断がでた。痛み止めの点滴をしてもらい、1か月分の痛み止め薬とシップ薬を処方してくれた。翌日には痛みも取れた。

 以後、年に数回腰痛に悩まされたが、関節が痛いのか、周辺筋肉が痛いのかの判別が自分で出来るようになった。関節が痛いときには薬を飲み、周辺筋肉のときはシップ薬だけで対処してきた。

 飲み薬は副作用リスクの高いロキソニンだったのでできるだけ服用を避けたかったのだ。

 昨年末、動くことのできない痛みが出た。ウォーキングとラジオ体操を続けているのに意外だった。内服薬を飲みシップを貼っても一向に治らない、正月も「痛い痛い」から始まった。

 ついに、別注のコルセットを24時間離せなくなった。

 医師が「最近のものではない」と言ったことを思い出した。

 最近痛みが頻繁に出るようになったのは、周辺筋肉の加齢退化によるものかもしれない。

 ならば、周辺筋肉を鍛えれば効果があるはずだ。

 腰痛にはガンや腫瘍等内臓からくるものもあるが、僕のは原因がはっきりしているから、これらの心配はなさそうだ。

 さっそく、ネットやテレビに出てくる腰痛ストレッチを実践した。

 ストレッチを始めてほぼ1か月になる。

 今は、1日1万歩のウォーキングが可能になった。薬も飲んでない。ただし、完治したのではなく克服したのだ。

教訓:筋肉は高齢者でも鍛えれば強くなる。

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風邪? 喉?

 先週の土曜日だった。春のように暖かい晴天に誘われ、朝10時ごろから洗車に行った。

 数台の車が列をなして自動洗車機の順番を待っている。

 僕がいつも使う水流ジェットガンは空いていた。手洗いするのは僕独りで、最近の若い者は自動洗車機を使っている。

 作業中にふと頭痛を感じた。喉が強烈に痛くなり体がだるい。

 家へ帰って体温を測ると35.9度だ。

「ふん」

 と女房が笑い見向きもしない。

 僕の平熱は35.5度だ、わずか0.4度の発熱でも高齢の身にはこたえる。

 体の倦怠感は増し関節も痛くなってきた、熱が出てくる予兆だ。

 ベッドに横になった。

 市販の総合感冒薬を飲んだが効かない。

 2日目、昨夜は咳がひどかった、気管に入ろうとする痰を追い出す咳だ。

微熱のままなので寝込むほどではないが、動くのが鬱陶しいのでベッドに横になったまま1日を過ごした。食欲は旺盛だ。

 3日目、症状は前日と変わらない。今日もテレビの守りだ。

 4日目、ついに薬局で薬を買った。今までとは違い強い薬らしい。説明書を読むと「使用上の注意欄」に次の人は服用前に医師、薬剤師又は登録販売者に相談してください。の列記項目のなかに「高齢者」「高血圧の診断を受けている人」がある。

 実を言うと数年前になるが、今と同じ症状で咳と痰に悩まされ市販の咳止め薬を飲んでいた。

 ある朝、目が覚めて上半身を起こしたとき、ふっと意識が消え、ほんの1秒後に気づいたことがあった。気づいたとき前のめりに頭が落ちていた。

― 人間の頭は重い。

と気づいた。その薬も「高齢者は医師等に相談すること」と記載してあった。

 今回は、薬局で薬剤師から勧められた薬だから前回のようなことは起きないだろう。

 5日目、薬は効いているらしいが症状は治まらない。

 これで治らなければ耳鼻咽喉科へ行かなければと思うが、前回は半年通院し17万円を超える治療代を支払った。

 もう少し様子をみよう。

 

同窓会

 中学時代同窓会の連絡が来た。還暦、古希と節目ごとに集まってきた同窓生であるが、今回は参加するべきかどうか迷っている。

 還暦同窓会のときは40数年ぶりだった。

「私は誰でしょう」と会場に入った。皆が唖然としている。全員で50名しかいなかった同級生だ、当時は全員が仲良かった。

 誰も僕の名を思い出す者はいなかった。

「そのうち分かるよ」

 と言ってやった。そして自己紹介はしないことにした。

 子供のころの面影のある者、まったく見覚えのない顔、女性については、その母親の顔を思い出して、そこから同級生を特定し、徐々に思い出してきた。

「ワイワイガヤガヤ」会場からあふれる大声も気にしないで思い出を語り合った。

 だが、2人が鬼籍に入(い)っていた。

 そのうちの1人男生徒は小学校から中学卒業まで首席で、性格も優しく運動もよくできた秀才だった。男女誰もが彼を慕っていた。高校もひとりだけ有名な進学校へ進んだ。ところが国立大学の受験に失敗してから人生が変わり40代のとき故郷に帰ったと聞いた。

 僕が50代のとき、彼の近所のおやじさんに消息を聞くと

「廃人じゃよ」

 一言返ってきた。

 還暦同窓会のとき彼が死去したことを聞いた。

 古希同窓会のときには5人が亡くなっていた。

 生きているのは当たり前で、死んでしまった同級生のことを思い、僕の心は沈んでいた。

 同窓会とは楽しいことばかりではない、悲しみ寂しさも伴うものであることを知った。

 

 

 

腰痛体操

 昨年暮れに発症した腰痛は今も治っていない。

 体は健康で元気なのに動けないことは情けないので、別注のコルセットで24時間締め付け、シップ薬で周辺筋肉の痛みを取り、正月からネットで調べた腰痛体操を始めた。

 いずれの効果がでたのか最近では歩けるようになった。

「第三腰椎の軟骨が無くなっているが、これは最近のものではない、若いころからのものだろう」と言った主治医の言葉を信じて、ならば加齢により周辺筋肉の減退からきているかも、と腰痛体操を始めた効果だとしたらうれしい。

 腰痛克服の目処がついたようである。

 今後も腰痛体操を続けて腰周辺の筋肉を鍛えることにしよう。