僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

チョコレートだー !!

 25日に女房が娘家族の家へ行くと、留守ではあったが玄関の敷台に手作りのチョコレートが置いてあった。

「いつも子守りとかしてくれてありがとう ! 」のメッセージ付きだ。

 ニヤニヤ喜ぶ僕、「14日に電話でもくれれば取りに行くのに」と女房。

 なにはともあれ一軒落着だ。

バレンタインデー

  今日はバレンタインデー、昼過ぎにショッピングモールへ行くと、通路を遮断するように設置したチョコレート特設売り場に並んでいる女性を掻き分けて店内へ入った。

 数年前までは孫がわが家の女性陣を代表して持ってきてくれていたが今は知らぬ顔。

 「チョコレート業界の陰謀だ」と豪語している僕ではあるが、玄関のチャイムを気にして一日が過ぎた。

 夕食で寿司がでたから、チョクレートの代わりかと思ったが、そうではないらしい。

「スーパーを歩いていたら2パック1000円で売っていたから、おもわず買ってしまった」と言うことだった。

「74歳にもなってチョコレートを欲しがることでもないだろう」と自嘲してわずかな期待を遮断した。

 

叱られて

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「バランスが悪い、風景に比べて女の子が小さすぎや」

できあがったこの絵を見て女房が言った。

「童謡の『叱られて』の情景を描いたものだ」

「それどんな歌?」

「叱られて 叱られて あの子は町までお使いに この子は坊やをねんねしな 夕べ寂しい村はずれ こんと きつねがなきゃせぬか」

 僕が口ずさむと女房は暗い顔をして離れて行った。

 女房は生まれてすぐ母親が病没した。数年後父親が連れて来た継母による『まま子いじめ』はひどく、女房と姉は徹底的にいじめられた。小学校へ入ってからは家のすぐ近くにある学校さえあまり行かされず、家で内職を手伝わされた。給食代がもらえないため家へ帰っても食べるものは置いてない。ある日、水屋に入ってるさつま芋を食べたら板の切れ端で顔を叩かれ、今でも目の上に傷が残っている。

空腹のためバスで二〇分ほどのところにある叔母の家へ歩いて行き、ときには大人のすぐあとについてバスに乗って行った。

 夜も、継母の二人の子は寝ているのに女房と姉は十二時まで内職を手伝わされた。

「眠いのが一番堪えた」女房は言う。

 女房が四年のとき、今の家に養女にだされた。

「明日からお前の家は、あっちやで」と継母に追い出された。女房は事情も分からず家を移った。

このとき、養父と養母は結納金五万円を払っている。

 当時の金額にすれば大変な高額だ。

「人身売買や」

 このことを知った僕は怒った。

 転校の手続きの為学校へ行くと、前の小学校の担任から転校の事情が書かれ、これで私も安心しましたと締めくくられていたと学校が教えてくれた。

 四年生に転入したが、前の学校でほとんど登校していなかったため勉強はかなり遅れていた。

 たまたま転入した小学校の教師をしていた親戚の人が、「かなり遅れている、まだ九九算もできない」と養母に伝え、家庭教師を引き受けてくれた。そのおかげで中学校へ入るころには成績優秀な生徒に回復していた。

養母は女房を大切に育ててくれた。

「夜は寝たいときには寝ることができ、お菓子も一袋まるごと食べることができる」

 まるで夢のようだった。

 姉は、女房が養女にだされたときから、家をでて叔母の家で商売の手伝いをして育った。

 今は僕と結婚し幸せな家庭を築いている。でも、僕は「子を捨てるような人は親と思わない」と、継母の家とは絶交している。ただし、女房が交際したいのであれば反対しないと言っているが、

「その気はない」と父親の墓参さえしない。継母のいじめから守ってくれなかった父親を許すことはできないようだ。

 

 女房は小学校低学年で習う童謡をほとんど知らない。

陰謀

 今年はもう過ぎてしまったが、節分の日には恵方巻きといって巻きずし一本まるごとを恵方(今年は東北東)に向かって一気に食べる、それも黙って食べなければならない。という風習?ができている。

 僕の家でも何回かはやったことはあるが、寿司屋の陰謀だと気づいてからはやめた。

 今年も恵方巻は食べなかった。しかし、女房と二人で食卓に座ったまま手巻き寿司を食べた。

  豆まきもせず、スーパーで配っていた少量の大豆を口に入れた。

 もうすぐバレンタインデーとホワイトデーがやって来る。

 もともと海外にあった祝祭を日本に持ち込んだもので、女性から男性にチョコレートを渡し愛を確かめるのは日本だけでチョコレート屋の陰謀らしい。

 僕が若いころ、こんな風習はなかった。

 とは言うものの、店に大量に置いてあるいろいろなチョコレートを見ていると、「理屈はさておき陰謀に乗るのもいいかな」と思う。

 若い人々は楽しそうだ。

 

 

 

グループウォーキング・千早赤坂村の水仙と上赤坂城

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 10日ほど前のテレビで千早赤坂村の水仙が見頃になったと放映していた。

「よし、行こう」

 2月前半の例会にすることとして、やって来た。

 満開ではあったがいかんせん場所が狭い。ひととおり見終わったらまだ10時半だった。

「まだ弁当には早いからどこか良い所はないか」

 女房がグループを代表して聞いてきた。

「ここから、3,40分のところに太平記に出ている上赤坂城があるけど行って見るか」と言いながらメンバー6人を見渡すと皆がハイキングできるシューズを履いている。

「山城は急で登りにくいやろ、もうこの歳で急な山は嫌やで」

 女房が釘をさした。

「登りはきついところもあるけど、歩きやすいし危ないところはないよ、それに登り口からは元気な人なら20分で頂上に着くよ」

「じゃ、行こう」

 10分ほど上り坂の車道を歩いて登山口に着いた。

「この城は太平記に出ている有名な城やから、ただ登って来たというのはもったいない。せっかくやから僕の講釈を聴いてくれるか」

「いいよ」 

 僕の知ったかぶり講釈は皆が知っている。「またか」と思っていても皆が了解してくれた。

鎌倉幕府の末期、政務を放棄して堕落した北条家から政権を取ろうとした後醍醐天皇が笠置で旗揚げしたとき、この地の楠木正成天皇の皇子を旗頭に下赤坂城で蜂起したが、天皇笠置山幕府軍に捕まってしまったので、楠木正成と皇子は自ら下赤坂城を焼き払って脱出した。

 それから1年も経たないうちに、今度はこの上赤坂城とすぐそこにある千早城に籠って数十万の幕府軍と戦った。千早城に籠っていたのは500人ほどであったがし烈に攻め上って来る幕府軍に石や木材を落とし、熱湯や糞尿まで被せて跳ね除けていた。やがて隠岐の島に流されていた後醍醐天皇が島を脱出して大山で討幕軍を結成、東上させたのでこの城を包囲していた幕府軍も逃げ去った、という話やけど、この攻防戦は太平記に詳しく書いてあるから、物語を思い出しながら城跡を見るのもいい」

 フーフー言いながら登り、ところどころで立ち止まって僕の知ったかぶりを聴いている。

 20分ほどで登れると案内板にはあったが、僕らは35分かかった。

 頂上に着いた、本丸である。

 今日は晴天で見晴らしもよい。

「登って来たかいがあった」

 と皆が大いに喜び弁当を広げた。

下手くそ

  

    和泉市のリサイクル公園へ水仙を観にいった。

 水仙はすでに盛りをすぎて写真を撮る気にならなかったが、梅と菜の花が咲いていた。

 カメラを花に向けていると、「爺ちゃんは下手くそやから」と女房が僕のカメラを取り上げた。

 僕と同じ構図で女房も撮って「どうや、違うやろ」ときた。

「たいして変わらん、えらそうに言うほどか」

 僕も負けていない。

 

僕の構図

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 女房の構図

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女房

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 今回は女房に勝たせておこう。

 

文通とブログ

  社会人になったばかりのころ、ペンネームで見知らぬ女性と文通をしていた。自分の気持ちを飾ることなく本音で表現したいとの思いからであったが、寮で同室の同期生から「自分の名を隠すなんて卑怯だ、自分のすることに責任が持てないのか」と言われ、それも一理あると文通をやめた。

 今、投稿しているブログは本名を書かないし、どこの誰だか分からない人と文章で会話している。

 自分の見栄も必要ない本音で趣味を同じくする方と語り合っている。

 楽しければこれでいい。これも有りだ。