僕の気楽飛歩(きらくとんぼ)日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

グループウォーキング・荒山公園

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 珍しく寒い日だった、でもこれが例年通りだ。

 家から歩いて公園入口に着いたとき丁度1万歩になっていた。

 7~8分咲きの梅をゆっくり観賞してから公園近くのレストランで1人当たり700円のウドン定食を食べた。

 元気が出たところで約2キロ離れたバス停まで歩いて、バスで帰って来た。

 家に帰り着いたのは午後2時で歩いた歩数は1万6300歩だった。

 

駆け引き

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 旅行会社から送られてきたカタログに、ぜひ行きたいと思うツアーがあった。

 三泊四日でひとり10万円の国内旅行だ。

 これまでひとり5~6万円の旅はよく行っているが10万円の旅は2回しかない。

「行きたい」

 と言ったら

「春には税金がいっぱい来る」

 と言って相手にしない。そのくせ今年になってから安いツアーを2回も行っている、それらすべてが女房が行きたいと思ったからでご主人様の気持ちなんて無視だ。

 僕は年2回独り旅をしているから、あとは女房の言いなりになっている。

 でも、今日見つけた10万円の旅は是非行きたい。

 

 僕は、黙って部屋の壁にカタログを張り付けた。

 女房もとっくに目にしているが何も言わない。

 ふたりともだんまりだ。

 

ノロ騒動

 先月21日早朝、胃と腸のいいしれぬ不快感に目が覚めて、トイレに走り込んだとたん水道の栓を全開したような強烈な水便が排出された、下痢の襲来だ。こうなると動きはとれない、便器に座したまま自然の法則に従うしかない、幸い嘔吐はない。

 腸の異常発酵により体内から発生する強烈な臭いが自分の鼻に臭う。

「部屋中が臭い」

 女房がぼやく。

 これまでの牡蠣によるノロウイルスにやられた経験から昨夕、食べた牡蠣にやられたのは明白だ。こうなると体内にある食物をすべて排出するまでは動けない。困った、この日は高齢者認知機能検査の指定された日だった。

 食欲はあったから簡単な朝食のあと、「下痢のときに下痢止めの薬を飲んではいけない」と医師に言われているが、なんとしても受験したいので市販の下痢止め即効薬を飲んで、試験場へ行った。幸い試験が終わるまで下痢は止まっていた。

 試験場からの帰路、そのまま病院へ行って受付で症状を説明すると、別室へ案内されベッドで診察の順番がくるまで待っていた。

「次が診察の番ですから六番診察室の前で待っていてください」

 看護師が呼びに来てくれたときには1時間を過ぎていた。

 医師の前で今までの症状を説明すると、胃腸薬2種類を処方された。

 午後2時ごろ、また下痢になった、止瀉薬が切れたようだ。

 何回もトイレを往復している。

 薬が効かない。

 木曜日、再び診察を受けると、「どうもノロウイルスに遣られたようだな」と薬を変え、2時間かかって500ミリリットルの点滴を受けた。

「点滴に抗生物質は入っていますか」と看護師に聞くと、「吐き気止めは入っているが抗生物質は入っていない」とのことだった。

 金沢に単身赴任中、ノロにやられたとき、病院では抗生物質を点滴に入れて注入してくれたはずだ。あのときは、それにより完治した。

―なんで抗生物質を入れてくれないのだろう」

 と不満を持ってウェブ検索するとノロウイルス抗生物質は効果がない、と出ていた。

 点滴中「会計と薬局へ書類を回しておくからね」と看護師が言ってくれた。

 点滴が終わって会計へ行くと、順番待ちしている人を飛ばしてすぐ会計してくれた。

 病院の前にある薬局へ行くと20人ぐらいの順番待ちをしている人があるにもかかわらず、すぐに処方してくれた。

「今日は特別扱いやったで、どこへ行っても特別扱いだ、順番待ちしなかった」

 気分よく女房に話をすると、

ノロウイルスは感染性の病気やから、早く病院や薬局から追払いたかっただけやで」

 女房の言に「そうか感染症か、そうだったのか」と納得した。

 下痢は続いている。食欲はあるから体の倦怠感はない。

 金曜日の午後1回の下痢を最後にやっと終息した。

 

 28日(火)の夕方から突然の下痢と嘔吐に襲われた。だが、今回は臭くない、嘔吐も苦しくない。それでも何回もトイレへ走り込み、体内の食物がすべて出尽くしたところで終息した。夜の11時を過ぎていた。

「今回はノロではないな、食べた何かが胃腸の逆鱗に触れたのだろう」

 僕の個人診断だ。体内が空になると下痢嘔吐は止まった、薬を飲む必要もなかった。

  2月1日(土)、胃腸に不快感がある。おそらくノロ騒動で腸が弱っているのだろうと整腸剤を飲んだ。2日、3日と不快感はとれない。

  4日早朝、空腹のときに胃の痛みがわずかにでた。

「そうか、胃炎だ、腸の薬にやられたのだろう」

 と、常時持ち歩いている薬専用袋をかき回して、1個のカプセルを見つけた。

「これが胃薬のはずだ」

 と表示の薬名をウェブ検索すると「胃炎」の薬だったので早速飲んだ。

 朝起きると、胃はすっきりしていた。

認知機能検査100点

 

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    旅行から帰ると「認知機能検査結果」が来ていた。

 総合点100点だ。

「爺ちゃんにとって人生最後の受験を100点で締めくくったぞ」

「すごいな」

 孫娘が驚いていた。

 爺の面目躍如だ。

 

家族旅行・山中温泉

山中温泉2連泊と特急往復乗車券付が2万円で募集しているよ、行こうか」

 女房が新聞の切り抜きを持って来た。

「本当だ、えらい安いな、行こう」

 ツアー会社のホームページを確認した僕が即賛成。女房が旅行日を設定して申し込むと、

「旅行日が迫っていますからキャンセルはできませんがよろしいですか」と受けてくれた。

 

 今回は女房と2人だけで行くことにした。今まで旅行といえばホテルへ夕方着いて翌朝にはホテルを後にする旅行ばかりだった。連泊しても自家用車で1日中走り回って夕方にホテルへ帰って来ていた。

 後期高齢者になった今、車(自家用車またはレンタカー)を使わない旅行に切り替えることにした。その1回目「温泉に連泊し、温泉街や周辺を歩いて散策する」ことをコンセプトにした旅である。

 

25日(日)

 雨の日が続いていたが今日は曇り空だ。

 中国の新型コロナウイルスで世の中は大変なことになっている。効き目があるかどうかは分からないがマスクをして家を出た。

 11時40分、大阪駅中央改札をいったん出て交通社の係員から往復キップとホテルへ提出する書類を受け取って特急サンダーバードに乗った。今回は添乗員は付かない。

 女房は通路側の席に座って居眠りしている。僕は目を大きく開いて車窓を楽しんでいる。いつも のパターンだ。

 北陸トンネルを抜けるといつも冬にはあるはずの雪が全くなかった。

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「今年は雪が降らない」とスキー場などがあわてているのもうなずける。

 午後2時半に加賀温泉駅に到着すると駅前に送迎バスが待っていた。

 3時、ホテルに到着。部屋にはすでに布団が敷いてある。

「ここは三ツ星ホテルやで」

 僕の説明に

「うそ!」

 女房は信じない。室内はきれいに掃除されているが、合成畳の表面はささくれだっているし、襖の下側にある空気循環用の格子窓に綿埃が絡み溜まって、サンが白くなっている。掃除人は立ったまま掃除機をかけるので目が届かないのだ。

 冬の旅行で到着後すぐに温泉へ浸かると、暖房の効いていない館内では頭痛になるおそれがあるため、寝る前に入湯することにして、夕食の6時までふとんに潜り込んでテレビを観てすごした。

 夕食会場に中国人はいない。館内の案内プレートは中国語表示が多いから、普段は受け入れているであろうが今日はいないようだ。新型ウイルスの影響だろう。

 夕食はバイキングだったが、蟹足食べ放題を追加料金で申し込んでいるので、まず蟹足に取り付いた。

 美味い、冷凍しか食べていない僕らにとってはたまらなく美味い。普通、食べ放題といえば味の悪い三流品であるとか、追加の量がなかなか出てこないというように悪いイメージしかもっていなかったが、ここは十分にある、いくらでも食べることができる。

「美味いな」「美味いな」

 2人は会話もなく食べていった。

 満腹になった。

 部屋へ帰ると「食べ過ぎた」と胃薬を飲むしまつだ。

 1時間後、やっと満腹の苦しさが解けたところで大浴場へ向かった。

 露天風呂に出ると風が冷たくて気持ちいい。

 雪見風呂を楽しみにしていたのに雪がなくて残念だ。

 

26日(月)

 朝9時、ホテルをでた、今日はウォーキングを兼ねて周辺散策する。

 空はどんよりと曇り冬の様相を呈しているが雨は夜まで降らない予報だ。それでも折り畳み傘をバッグに収めて出発した。

 気温も下がっているらしいが、まったく寒くない、手袋もいらない、歩くには一番いい気温だ。

 田園風景を観ながら2キロほどのところにある「カヤノ大杉」を目指した。

 戦後、昭和天皇の全国巡回のとき立ち寄られた記念碑「天覧大杉」の石碑が立っていた。

 

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 写真に撮ると大きさが表現できないので杉の横に立っている女房を入れて杉のすごさを出した。

 ウエブ検索のとき、この神社前の茶屋で名物のヨモギ餅を販売しているとあったので、楽しみにしていたが、店は閉まり「ヨモギが生えてくる四月ごろまで閉めます」とあった。残念だがしかたない。

 次は、1キロほど歩いて八幡神社の三叉大杉だ。

 太さは大したとなかったが、「帆柱にしようとしたら、翌日には三叉になっていた」という説明が面白い。近くに2代目の松が植えてあり、これも三叉で親杉と形も同じだった、クローンなのだろうか。

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 効率よくウォーキングしたいと地図を見ながら歩いている。

 暑くなったのでダウンコートを脱いでショルダーバッグに括りつけた。

 加賀藩家老の屋敷で明治期に移築されたという無限庵は休館になっていた。

 この地方における当時の木造技術の粋を傾けた最高級の普請で金沢兼六園にある成巽閣(重文)に見るような武家邸宅書院の伝統を継承する近代の書院造として貴重な遺構といわれている。残念ながら修復しているということで見学は出来なかった。

 そのすぐ近くに木造のこおろぎ橋があった。鶴仙渓に架かる総ヒノキ造りの橋で、江戸時代に造られ「こおろぎ」の名の由来は、かつて行路が極めて危なかったので「行路危(こうろぎ)」と称されたとも、秋の夜に鳴くこおろぎの声に由来するとも言われている。昨年の10月に4代目が完成したばかりで、まだヒノキの香がただよってくるようだ。

 下から見ると錦帯橋とよく似た造りだ。無限庵のための橋だと思っていたが、そうではなかった。

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 橋の下を流れている渓流右岸の遊歩道をゆっくり散策している。苔むした岩肌や道を覆う木々が美しい。紅葉の時期であればさらにきれいだと思う。ただ、対岸の絶壁の上に並ぶホテルの裏側が雑然としてみぐるしい。潰れたホテルもありそうだ。

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 遊歩道のほぼ中間にある、あやとり橋から温泉街へ入った。

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 温泉街の中心になる山中座で公演されている「山中節 四季の舞」を楽しみにしていたが平日は講演していなかった、残念だ。せめて漆器職人2000人の、匠の技を集めて造られたという建物を見学して我慢した。

 僕が金沢に単身赴任していたころ、当時は単身宿泊を嫌う宿の多いなかで気持ちよく泊めてくれた別のホテルによく来た。そのホテルも三つ星ホテルの大きな宿である。

 大浴場へ長い廊下を歩いていると館内BGMとして流れている、ゆったりと潤いのある山中節が好きだった。

 今回は漆塗りのきれいな山中座での講演を期待していたのである。

 旅を計画するときはウエブ検索で見どころを探していくのだが、今回は平日は講演していないことを見落としてしまった。

  山中座の前で「カニ汁大鍋」がでていた。冬の名物になっているというので300円払って食べたが具は少ないし薄味でまったく旨くなかった。いちど完成した味噌汁に白湯を加えて増量したようなまずい汁だった。

 女房と額を寄せ「まずいな」「薄いな」と小さな声で文句を言いながら食べた。

 山中座の横にあるテーブルで食べ終わって、近くにある流し台に器を置いた。正面の鍋近くで食器のかたづけをしている女性に、「器は流し台に置いときました」と言って立ち去ろうとしたら、「こっちへ持ってきてください」と取りにいかされた。

 頭に来た。それでも文句言わずに器を取りにいって女性に渡すと。女性は何も言わずに受け取った。

「有料だよな、ひとり300円払ったんやろ」

 その場を離れてから女房とひとしきりぼやき、文句を言った。

 山中座には菊の湯(おんな湯)があり、その隣には総湯菊の湯(おとこ湯)がある。これこそ山中温泉を代表するものである。

「入浴したい」

 と言ったが女房はその気がないので心を残したままあきらめた。

 次に来たときは、菊の湯に入り、講演を見よう。

 もう12時を過ぎている、食堂・レストランを探したが月曜日で閉まっているところが多い。

 ソバ屋が1軒開いていたが中は観光客でごった返していた。

 簡単な山菜ソバを食べようとしたが、1700円を超すセット物しかない。観光客相手の店のようだ。そのとき、車いすを連れた客が入って来た。

「満席です」

 店の女性がきっぱり断った。その言い方がきつかったので僕らも気分を害して外へでた。

「お2人様の席はあります」

 後ろからの声も無視した。

 ほとんどの店が閉まっている。もう一度山中座近くまで帰って探すと、料亭みたいな雰囲気の食堂が開いていた。表に出してあるメニューを見ると手ごろな値段だった。

 中に入ると左手にカウンターがあり、ムスッとした頑固爺さんみたいなおやじさんが1人立っていた。料亭とは結び付かないような雑然とした一杯飲み屋みたいな店だった。

「どこでも座れ」と言いかねない雰囲気だ。

「ここに座ってもいいですか」と言っても返事もない、おそるおそるカウンター席に座って横の客を見ると天ぷら定食を食べていた、旨そうだ。

「てんぷら定食二つ」と注文した。

「美味いな」僕が女房に話しかけた。

「これなんだろう」女房が聞いてきた。

「みょうがかな、それにしては色が青いな」

 僕らの会話はカンターの中から聞いていたらしい、

フキノトウ

 とおやじさんが笑顔も見せず応じた。

「え、もうフキノトウが生えているんですか」

 女房が持ち前の話術で頑固爺を会話に引き込んだ。

「今年は雪がないから、なんでも早い」

「雪は降らないのですか」

「例年なら積もっているが今年はさっぱりだ」

「私たち大阪から来たんですが雪を楽しみにしていたのに残念」

「わしも大阪の淡輪で店を出していた」

 頑固爺と思っていたおやじさんの顔に笑顔がでていた。

「淡輪と言えばツツジの山がありますよね」

 僕も会話に加わった。

「あの下に漁港があったんやけど、今では埋め立ててヨットハーバーとか色々な施設ができている」

 どうも淡輪の旧漁港で店を開いていたようだ。

 話が弾んだ。洗い場にいたらしい女性も出てきて話に加わった、おそらく奥さんなのだろう。

 楽しく食べて「おいしかった」と礼を言って店を出た。

「美味かったな」

「あんなムスッとした顔をしているから気まずい思いで食べなあかんかと思った」

 女房とふたりの余韻はしばらく続いた。

 夕方までは雨が降らない予報だったがポツッポツッとかすかな雨が落ちてきた。女房は傘を広げたが僕は「まだ大丈夫」と傘を出さない。

 ここから宿泊ホテルまでは徒歩25分だ、2人は道の端に並ぶ店や景色を観ながらゆっくり歩いて午後2時に着いた。雨は降らなかった。

 5時間で1万8000歩のウォーキングだった。

 早速、浴場へ行ったら閉まっていて3時からのオープンになっていた。

 昨日チェックインのときの説明で「夜中の1時から2時の間は清掃のため閉まりますが、それ以外はいつでも入浴できます」と言っていたのに、と不満をもったが、午前10時のチェックアウトから午後3時のチェックインの間はホテルとしての機能停止になることは、しごく当然なことだと気づいた。

 3時になったので浴場へ行くと、すでに5人ほどが浸かっていた。ホテルの新しい日が始まったのだ。

 夕食だ。今日は蟹は予約していない。昨夜食べなかった海鮮鍋を主体とした食事にした。

 鍋は自分で具を選んでセットする。

「そんなに入れたら汁が沸騰したときにこぼれるよ」

と女房が笑っている。

 寿司を皿いっぱいに取り、いろいろな料理を集めて席に帰ると、

「そんなに食べて大丈夫か」

 と女房の心配をしりめに食べ尽くした。

 部屋に戻ると食べ過ぎで胃がしんどい。

「ついつい食べ過ぎてしまう、バイキングの悪いところやな」

 僕がぼやき、胃薬を飲んだ。

 

27日(火)

 天気予報では昨夜から今日にかけて本格的な雪が降るといっていたが、朝、起きて見ると雪は降った形跡もない。

今日は観光もしないで午後2時20分発の特急で帰阪する。

 10時までにチェックアウトしなければならないので鍵を返して、ロビーのソファーに座った。僕らのような客も多いらしくロビーのソファーは満席になっている。

 対面に座った80代らしいカップルが2人で話している。聞こえてくる会話の内容を聞くともなしに聞いていると、夫婦ではなさそうだ。

 10時40分発の送迎バスに乗ると、一番後ろの席でこのカップルと同じになった。

「料理はよかったね」

 とカップルの女性が話し掛けてきた。

「わたし鳴門なんです、大阪はまだ1か月しかなりません」と聞きもしないことを話した。話の好きな女性のようだ。女房は話を合わせ適当にあいずちを打っていた。ところがこのカップルは昨日来たばかりだと言った。

「え、わたしたち2連泊で2万円よ」

 女房の言葉にカップルの女性は絶句した「わたしたち1泊で2万円よ」

「旅行社はどこ?」

 聞き覚えのない個人の旅行社だった。

「やっぱり、ちゃんとした大きな旅行社でないとだめだね」

 カップルと別れてから女房が言った。

「あの人たちまだ同棲してホヤホヤだね」

 めずらしく女房も気づいたらしい。

「歳をとっても収入が安定していたら女の人も寄って来るよ、なにしろ自分の生活が安定するから」

「うちみたいにしがない年金暮らしではだめだけどね」

 女房がぴしゃりと遮断した。

「なに、俺にだって寄って来るよ、足りないところは愛情でカバーするよ」

 僕も負けてはいない。

 加賀温泉駅に着いた。ここで3時間ほどの時間待ちだ。

「荷物を駅のコインロッカーに預けて隣のスーパーで買い物をしようか」

 僕の提案に、

「駅のは500円していた、それより隣のスーパーモールには無料か安いロッカーがあるから、そこにしよう」

「なるほどな」

 女房の機転に納得した。スーパーのロッカーは100円だった。

 ひととおりスーパーの中を見て周ったあと、ひとまず昼食を摂ることにした。

「旅行前にウエブ検索すると国道沿いに回転すしがあるはずだ」

 二人はスーパーを後にして国道にでるとすぐ近くにあった。

 さっそく入店しイスに座った。ところが回転ベルトに寿司が載ってない。他の客を見ると大きな皿に載ったものを食べている、僕らも隣と同じものを注文した。

 さすが北陸だ、魚は新鮮で美味い。

「美味かったな」

 満足して店を出た。

 再度、スーパーに入ってみやげ物を探していると、

「甘エビを買う」

 女房は決めていた。

「この建物に100円ショップはないかな」

 と女房が店内案内板まで行って確かめると、二階にあった。さっそく100円ショップで発泡スチロールのクーラーボックスを手に取った。

「なるほどな」

「魚売り場でクーラーボックスを頼めば500円以上するが、これなら100円だ」

 今日の女房はめずらしく頭がさえていた、僕は舌をまくばかりである。

 僕は中学1年になった孫娘のために加賀特産の漆塗りコンパクトミラーを、弟君には1000円のおもちゃを買った。

 午後2時になったので駅のホームに出ると大勢の人が列をなしている。それも皆僕らと同じ、北陸協力祭でのツアー客だ。

 列車が到着した。全員が僕らと同じ車両に乗るようだ、他の車輛に乗る乗客はいない。

「お急ぎください」

 駅員は慌てているが1両が満席になるほどの客だ、ついに3分遅れで発車した。

 

 娘家族の家へ帰り着いたのは5時半だった。

 孫はおみやげを楽しみに待っていた。

「ありがとう」と孫娘が言ったが今少し反応が鈍い、

「どうした、気に入らなかったのか」

 僕が聞くと、「寝ぐせで立ったままの髪でも、平気で学校へ行くのにまだ興味ないよ」と母親が言った。

「中学生の女の子はだれでも持っているやろ」

「女子力の強い生徒は持っているけどね、自分は女子力が弱いから」

 と孫娘。

「そうか、いずれは必要になるから机でも入れとき」

 弟君はおもちゃが気に入ったらしく、さっそく包装を解いている。

「これおばあちゃんからのみやげ」

 と渡した小さな菓子箱、孫娘には10粒ほど入ったチョコレート、弟君にはきれいな袋に入ったコンペイ糖、いづれも駅のコンビニで買った300円のものだ。2人は大喜びしている。

 

僕はこうして高齢者認知機能検査の高得点をだした。

 自動車免許更新には認知機能検査を受けなければならない年齢に達した。再来年の3月には自家用車の車検切れをもって運転免許証の返納を決意しているので、今回が人生最後の受験だ。

「よし、満点合格してみせるぞ」と心に決めた。

 さっそく「運転の認知機能を鍛える本」(池田書店)を購入して問題と傾向を調べた。

 それにより、30分の書き込み式テストで主に3種類の問題がでる。

・検査当日が何年・何月・何日等を書き込む問題(時間の見当識

・16種類の絵を覚えて答えを書き込む問題(手がかり再生)

・時計と指定された時間を描く問題(時計描画)

 以上の3問題であることが分かった。

 ここで2.以外は注意して書けば間違うことはないだろう。

 難しいのは「手がかり再生」だ。4種類のイラストが描かれたボードを示しながら説明して16種類のイラストの記憶をうながし、採点には関係しない課題を行ったあと、記憶しているイラストをヒントなし、それが終ったらヒントありの解答欄に 制限時間内に16種類のイラストを覚えることは困難である。完璧に記憶できる者は少ないだろう。

 ところがイラストにはAからDの4パターンがあり、それぞれが16種類のイラストからなっているのでAからDのパターン64個のイラストを覚えればいいことになる。


 

覚え方(僕の場合)

 第一段階

Aパターン

 ・大砲の音をオルガンでだす

 ・耳にラジオが聞こえる

 ・テントウムシがライオンの背にとまった。

 ・タケノコをフライパンで調理する

 ・モノサシでオートバイを計る

 ・ブドウ色のスカート

 ・にわとりの後ろにバラがある

 ・ペンチでベッドを組み立てた

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Bパターン

                       

・大砲の音は太鼓に似て いる

 ・目をみはるステレオ

 ・トンボとウサギは山にい る

 ・トマトの皮をヤカンの熱湯でむく

・万年筆を飛行機に落とした

・レモン色のコート

・ペンギンの後ろにユリがある

・カナヅチで机を叩いた

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 Cパターン

・機関銃の音は琴の連打に似ている

・親指を電子レンジで火傷した

セミが牛の背に止まった。

・トウモロコシをナベでゆでた

・はさみをトラックで運ぶ

・メロン色のドレス

クジャクもチューリップも色鮮やかだ

・ドライバーでイスを組み立てた

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Dパターン

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・刀の演劇をアコーディオンで伴奏する

・人間の足とテレビも足という

・カブトムシが馬とにらみ合った.

・カボチャを包丁で切る

・筆をヘリコプターで運ぶ

・パイナップル色のズボン

・スズメがひまわりの下にいる

・ノコギリでソファーを作る

第二段階

 次表の赤色文字部分を記憶する。

 

項目

戦いの武器

大砲

戦車

機関銃

 

 

楽器

オルガン

太鼓

アコーディオン

体の一部

親指

電気製品

ラジオ

ステレオ

電子レンジ

テレビ

昆虫

テントウムシ

トンボ

セミ

カブト虫

動物

ライオン

ウサギ

野菜

たけのこ

トマト

トウモロコシ

カボチャ

台所用品

フライパン

ヤカン

ナベ

包丁

文房具

ものさし

万年筆

はさみ

乗り物

オートバイ

飛行機

トラック

ヘリコプター

果物

ぶどう

レモン

メロン

パイナップル

衣類

スカート

コート

ドレス

ズボン

ニワトリ

ペンギン

クジャク

すずめ

バラ

ユリ

チューリップ

ひまわり

 

大工道具

ペンチ

カナヅチ

ドライバー

ノコギリ

 

 

 

 

 

家具

ベッド

イス

ソファー

 第三段階

 解答記入の仕方

 ・マーカー部分だけを記入し間に空欄を入れておく

 ・第一段階で覚えた語句から空欄を埋めていく

 

 勉強を始めたのは2019年の夏だった。少しずつ覚えて、年末には何とかいけそうな目処がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者認知機能検査

 未明、いいしれぬ不快さに目が覚めた。嘔吐、下痢が襲ってきたのだ。

 昨夕に食べた牡蠣があたったようだ、ノロウイルスだ。これまで何回もやられている。

 トイレへ駆け込み、水道の蛇口から水を思い切り出したような水便を排出した。

 しばらく便器に座ったまま自然の排出にまかせていくしかない。

 苦しくしんどい、全身に冷や汗がにじむ。 幸い、嘔吐は1回だけで済んだが下痢は際限なく続く。

―困った、今日は高齢者認知症検査の日だ。

 試験は延期してくれると思うが、半年にわたって勉強してきた日だ、なんとしても受けたい。

 朝、家を出る前に市販の下痢止め剤を服用して出発した。

 試験場までは徒歩で40分ほどだ。途中、トイレのある施設を頭にいれた。

 体はだるく、いつ下痢に襲われるかも分からない状態で歩いて、どうにか試験場に着いた。

「夕べから体調を崩しているんです」と申告すると、「試験を延期しますか、次は2月25日以降になります」と言ってくれたが「できるだけ今日済ませておきたい」と申し出た。

 筆記試験の途中なら動けないが説明の時間帯であれば許されるだろう。

 試験が始まった。一番の難関は16種類の絵を記憶してから、試験の点数に加算されない問題をやらされ、さきほど記憶した16枚の絵がなんであったか列記する解答記述に取り組んだ。

「はい、始め」試験管の合図と同時に鉛筆をとった。

 解答用紙には1から16まで縦に数字が打ってある。

 一つおきに解答を入れていった。

「解答欄を空けないで詰めて記入してください」

 試験官が注意した。

「だいじょうぶです、全欄埋めます」

 僕は強行した。

 3分の制限時間であったが、余裕をもって書き終えた、全欄埋めている。

 次は、「戦いの武器」「体の一部」といったヒントが書いてある。これも、同じように記述して全欄記入した、まちがいなく100点を取ったであろう。

 なにしろ、「人生最後の受験」だと挑んだ認知症検査、満点合格こそ意義がある。

 

 試験が終わった。下痢止め剤が利いたらしく無事だった。

 その足で病院へ行き「昨日の晩ごはんで食べた牡蠣にやられたようです」と受付へ申告すると、別室へ案内された、一応隔離だ。ベッドに横になることができるので、ありがたい。

 50分後「次があなたの番ですから6番の診察室の前でお待ちください」と看護師が知らせてくれた。ずいぶん時間のたつのが早いと思ったから、うつらうつらとしていたようだ。

「女房も同じ数を食べたんですが、あたったのは僕だけです」と医師に言うと「良い方を食べたんだろ」と馴染みの医師が冗談を言った。今回は抗生物質も使わず、胃腸薬だけで「3日もすれば回復するよ」で終わった。

午後、また下痢が始まった。今朝飲んだ下痢止め剤の効果が切れたようだ。

出るものは出し、後は寝ているだけだ。