僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

センダンの実

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 グループウォーキングしているとき、民家の裏から空に伸びている木を指さして、「あれ何の木」とグループの女性から聞かれた。

 葉はすっかり落ちて、鈴なりになった黄色い実が青い空に際だっている。

「センダンの実、あの木の皮を剥いで乾燥させたものを煎じて飲むと整腸剤になる、今の漢方薬にもなっている」と説明した。僕の少年時、祖母は草刈りカマで外皮を削り取って、ムシロに広げ日光で乾燥させていた。そして時々、雪平(片手の土鍋)で煎じて飲んでいたのを思い出していた。

「うん?」

 僕の横にいた女性が異論ありそうな顔をした。

「なんで、大手製薬会社の胃腸薬にも普通に入っているよ」

 僕も負けてはいない。

「今の胃腸薬には入っていないと思うよ、業界でセンダンは正式な漢方薬には入っていない、いわゆる民間漢方薬に分類されている」

 現役時代、漢方薬の会社に勤めていた彼女が毅然と反論した。

「そんなことないよ、大手薬品会社の胃腸薬には普通に入っている」

 僕も負けじと反論したが、この勝負は僕の負けだった。

 大手薬品会社の漢方胃腸薬の成分にセンダンの名は記入されていなかった。

 

 話は戻るが、僕が20代の帰省しているとき祖母のしていたことを思い出して、センダンの木の皮を草刈りかまではぎ取った。

 翌日、僕の腕は赤くかぶれ、発心が出て痒さに閉口した。

 

韓国時代劇と日本の時代劇

 韓国時代劇「トンイ」の再放送が始まった。いったいこれで何回目の再放送だろうか、たしか4回目か5回目のはずだ。

 韓国時代劇は陰謀による相手の潰しあいと闘争の繰り返しである、それでも厭くことなく観ている。

 ドラマにでてくる女性は美人ばかり揃え、時代考証を無視した衣装で着飾っている。鎧だって当時には無かったかっこいいものを着せている。まさに「ありえへん」時代劇だ、それでも観ていて面白い。

 日本ではいわゆる歴史小説に分類されるドラマについて、時代考証を徹底的に研究してできるだけその時代に即すよう心掛けているが、それでも出来ないものがある。例えば馬の足にU字型の鉄を取り付けて爪を保護する蹄鉄は、江戸時代の終わりごろ来邦した外国人によりもたらされるまで日本には無かった。それ以前の馬は長距離移動または合戦等の場合にかぎり草鞋を履かせていた。

 また、人間についても武士や足軽は草鞋を履いていたが非戦闘員である雑兵にいたっては裸足が多い。

 現在の映画又はテレビ等に出てくる馬に草鞋を履かすことは不可能であるし、俳優に裸足になれと言ってもできることではない。いっそのこと韓国のように時代考証を捨て、観てきれいな絵を作ることもありえる。それに韓国ドラマはBGMがすばらしい。

 権力をもって悪を退治するワンパターンの日本の時代劇はとんと観なくなった。

東北ドライブ計画

 自分で運転できる間に車で東北地方を1週間ほどの日数をかけてくまなく走りたい、というのは僕の夢だった。

 孫の守を最優先している僕らにその時間はない、だが、今年の3月末をもって娘が勤めを辞めるので4月以降は自由時間ができる。

「東北へ行って来たらどう、ただし9月からはまた働きにでる予定にしているからそれまでに」

 僕が自ら長距離運転してのドライブは、あと数年しかないことを知っている娘が後押ししてくれた。

「距離ドライブは75歳まで76歳になったら止めだ」と常日頃言っているのも娘は知っている。

「よし、8月下旬に行くか」と計画をたてた。

 月曜日の朝、敦賀からフェリーに乗り翌日早朝秋田で下船して、東北をドライブしてから土曜日の便で帰ってくると計画したが帰りのフェリーは日曜日しかない。そうなると船で2泊、東北で5泊になり、一人当たり15万円を超えるため、あまりにも費用が掛かりすぎる。

 そこでフェリーは往路だけにして秋田からドライブしながら帰って来ることで計画をやり直した。これだと2000キロを超える走行距離になるがフェリー1泊、ホテル4泊の9万円程度で済みそうだ。

「いつ頃行くつもりか」と女房。「8月の下旬やな」と僕。

 女房は何も言わなかった、行くつもりになっているようだ、「シメシメ」

不気味な集団

 

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 夕方公園の隅に人が群れだした。

 黙って来て黙って集まっている。挨拶もしない、会話もない、ただ静かにスマホを見つめている。

「なにしているんや」娘に聞くと、「ポケモンが出るらしいで」意味の分からないことを言った。そして「うちの旦那もやっている」と笑った。

 ガラケーしか持たない主義の僕には、彼らの姿は不思議な集団だ。

闘い

 強烈に寒く室内の暖房も効かない。

 午後4時、自転車で幼稚園へ孫を迎えに行った。僕は毛皮の帽子をかぶって用意万端だが孫は寒いだろうと持参した僕のダウンコートを上からスッポリと被せた。これで孫は首から上しかでていない。隣の自転車に乗っている若い母親がびっくりしている。たしかにいい格好ではない。

「どうだ暖かいだろう」

「うん」

 家までの10分、寒風にさらされても寒さは感じないだろう。

 家に帰り着くと服も着替えないで遊びまわっている。幼稚園でのうっぷんを晴らすかのように30分近くチャンバラをして騒ぐのがいつものパターンだ。

 爺は疲れてきたので、「服を着替えなさい」と言ったがきかない。

「よし、実力行使だ」

 孫をつかまえ倒しズボンの裾を持って、強引に脱がせているとき娘が帰ってきた。

「何をキャーキャー騒いでいるのかと思ったら着替えか」

「そうだ、爺ちゃんの言うことを聞かないから実力行使だ」

 それでも孫の抵抗は止まない、ひとしきり騒いで着替えが終わった。

「さあ、お母さんが帰ってきたから爺ちゃんは帰るよ」とハイタッチをするため手をだしたら、横になったまま足を出してきた。「お、足でハイタッチする気か」両足をつかまえて体をさかさまにぶら下げた。「どうだ参ったか」と手を離したら「もう一回」と要求された。

納得いかん(2)

 昨年の秋、島根へ旅したとき、ある神社で「神様が地上に降臨されたときの乗り物」との由緒書と現物を見た。

「それはないやろ」

 と思った。乗り物とは鉄の大きな釜である。神代の時代ではなく後世になってから製造された物であることは想像に難くない。それを誰かが「神さまの乗物」と創作し、以後誰もがうやうやしく頭を垂れてきた。多くの人は疑問視しても何も言わない、神様のことだから罰が当たるとでも思っているのだろうか。

 触らぬ神に祟りなしか。

 ただ、ネットを観ていると、「この伝承はともかく、」 と指摘する声はあった。

 

納得いかん(1)

 初詣のとき、神前で手を合わせ「家族の健康と安全」を祈念して離れた。ところが女房はブツブツと小さな声でお祈りしている。

祝詞でもあげていたんか」と僕。

「神様にお願いするときは自分の住所氏名を言ってからお願いするもんだよ」と女房。

 自分の住所氏名を言わなければ神様も誰から頼まれたのか分からない、とのことだ。昨年の秋テレビの番組である有名な神社の神職さんが作法として説明したものらしい。

「そんなことないやろ、悪いことをすれば神様の罰が当たると言うやないか、作法の考えから言えば悪いことをしてもどこの誰だか分からないことになるぞ」

「偉い神職さんが言うことやから間違いない」

「納得いかん、なんでもお見通しなのが神様や、自分の住所氏名は言わなくても何処の誰なのか神様は分かっている、それが神様や」

「ま、どうでもいいことやな、作法より敬虔な気持ちでお参りすることだ」

 二人の結論とした。