僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

戦没者等の遺族に対する特別弔慰金

 父親が戦死したため特別弔慰金を頂いている。年1回4万円であったが平成27年の法改正により5万円にあがった。

 故郷を離れている僕にとっては墓参に行くにも交通費、宿泊費がかさみ負担が大きいが、この制度はありがたい。

 ところが、申請を出してから弔慰金を受け取るまでの期間がかかり過ぎだ。

「一年半はかかります」

 担当者は平然と言っているが、受給者は高齢者がほとんどだ。待っている間に死去する人も多いだろう。なぜ、もう少し迅速な作業ができないのか疑問を持つ。

 

 政府のせっかくのご厚志を事務方がつぶしているように思う。

 

 

今年も並みの夏だ

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 朝5時、目覚めと同時に散歩にでるとさわやかな涼しさが戻っていた。例年、8月の中旬に入ると昼は暑くとも朝晩は涼しくなるものだが5、6年前だったか、とんでもない酷暑が続いたことがあった、35度を超える猛暑日が60日以上続いた。あのときはしんどかった。何年経っても恐怖心は取り払うことができない。

 今、涼しいということは例年どおり順調に秋が来るということだろう。

 ありがたい。

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 まもなく盆になる。

 幼少年時、盆を前にして裏山から竹を切り出して花立と線香立を作った、僕と次兄の担当だ。竹の2節を中にしてその両外側の中間を切り離し、節の内側は左右別方向から径の半分までノコギリ目を入れ、一方を持って地で軽く叩くと2つの花立ができた。

 50セットの花立と、線香立てを作るのは1日作業だったが、待ちに待った盆が来るという楽しみの一環だ。

 出来上がったものは負い籠に入れていった。

 祖母と母はビシャコを採りに山に行っている。

 翌日、家族総出で墓掃除に行った。600年近く続いているわが家の墓には山の中腹に造った2段の墓地に50柱を超える墓石が並んでいた。墓地全体を覆う大きなヤマモモの木の陰になって直射日光は当たらないが真夏の暑さで汗をボトボト垂らしながら落ち葉を熊手でかき集めた。それでも年中木陰になり草は生えていないので作業は楽だった。

 半日かかって掃除を済ますと、墓石一柱ずつに竹で新しく作った花立二本と線香立てをセットにして立てた。

 僕が山を下りて下の川から汲んできた水を花立に入れ、昨日山で集めてきたビシャコ(仏事に使う緑の葉)を立て、線香2本ずつを供えて終わり、あとは盆を待つだけだ。

 盆入りの夕方には墓参りに行っていた。

 一般的には「ご先祖さまをわが家に迎えるため」と言われているが、わが家では少し意味が違っていたように思う。わが家ではご先祖さまを家に連れ帰らないのだ。仏壇に共物や膳を並べ念仏を唱えるが、あくまでも仏壇を通してご先祖さまに食べていただくという考えのようだった。

 だから、盆の間毎日家族総出で夕方の墓参りを続けた。

 これは、祖母の間違いであるかもしれない、あるいは宗派の違いによるものか。いや、間違いだったとは言えない、正しい方法なんてないのだから、祖母の考えが変わっていたというべきだろう。

 祖母は神仏を敬い、毎朝、顔を洗い清めてから八百万(やおよろず)の神様を拝み、夕方には仏壇の前に座って木魚を叩きながら念仏を唱えた。

 集落にあった3軒の寺で法要があるときは必ず出かけ、隣町の寺であっても自分の足で行くことのできる寺にはお参りしていた。ただし、祖母がお参りするのは真言宗、浄土宗と禅宗だけでそれ以外の法要には見向きもしなかった。

 わが家の菩提寺は歩けば半日かかる山の中にあったが、法要の日には朝暗いうちに家を出て、夜遅く帰ってきた。

 これだけ信心深い祖母だから間違えるはずはないと思っていたが、やはり祖母は勘違いしていたのかも知れない。でも先祖を敬う気持ちは際限がなかった。

 盆には盆踊りがあった。

 新しい下駄と数年に一度買ってもらう浴衣を着て朝まで躍りあかした。

 当時は集落に50軒ほどの家があったから踊りも盛大に行われた。

 家では、盆の日には盆ダンゴを食べる風習があり、三食とも盆ダンゴが主食になった。

 

 今でも盆が来ると盆ダンゴを食べたくなる。

 去年は自分で米粉を買ってきて自分で作り一人で食べた、家族は誰も見向きもしない。

さあ、今年も盆ダンゴを食べるぞ。

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 8月13日(日)夕方、女房と二人で墓参に行った、これからが盆である。

 家に帰ると仏壇に共物を供え燈明と線香を点けて合掌。特に信仰心が篤いとは思わないが行事としては一応やっておきたい。

 娘家族は仏壇に手を合わせることもなく3泊4日の信州旅行に行っている。普段は近くで生活し常に行き来しているのだからそれも良いだろう。

 女房と二人で普段と変わらない夕食を済ませた。

 8月14日(月)

 昨日購入していた「米粉」で僕がダンゴを造りきな粉を付けて食した。

 女房がインスタントうどん2つをテーブルに置いた。ダンゴだけでは物足りないと思ったのであろう。

「なんとも簡素な盆会食やな」

 二人は笑って昼食とした。

 盆と言っても盆踊りはない、この地域では8月23日の地蔵盆に踊る。

 8月15日(火)

 朝、仏壇に手を合わせてからドライブに出発した。ご先祖さまを家に呼んでいながら留守にするとは罰当たりではあるが、これがわが家のスタイルだ。

 8月16日(水)

 夕方、墓参りして盆は終わりだ。

 

 

 

 

 

自由研究

 僕が小六のときだった。理科の本でモーターの構造図が出ていた、そして数ページ後ろには発電機の構造図があった。何回見直してみたも構造は同じにしか見えない。そこで一つの模型モーターの回転軸ともう一つの模型モーターの回転軸をジョイントでつなぎ、二つ目のモーターの入力用コードに豆球を付けて回転させると電気がついた。

「よし、これだ」とひらめいた僕は納屋にある縄ない機の工具箱から予備部品の歯車を大小2個を取り出して、放置してあった自転車の前輪を外し、大きい方の歯車を取り付けた。モーターには小さい歯車を取り付けて、自転車の車輪を大きく回すと豆球が点灯した。

 この話を孫に話したことがあった。

「今年の自由研究にしたい」

と小5の孫が言ったので制作することにしたが歯車がない、模型用の歯車を台車の車輪を使って回そうとしてもうまくいかない。

 仕方ないので二個の模型モーターを使用して一方のモーターは電池で動かし、回転軸をもう一方のモーターの軸にジョイントで繋いだ。発電用に使ったモーターからのコードは電柱2本を伝って紙で作った家の中に引き込んだ。

 スイッチを入れると家の中の豆球が点灯した。

 これで完成だ。

 50センチ四方の板に取り付けたから「どうして学校へ持って行こう」と孫は困ったような口ぶりだったが出来栄えは満足していた。

「これなら絶対、賞をもらえる」

 と爺は自己満足だ。

台風5号

 台風5号は被害もなく夜半に通過したが矢来風雨の声に幾度も目が覚めた。朝五時、雨は上がったが名残の風はいまだに木々を揺らしている、台風一過とはならないようだ。

 風を切って散歩に出た、久しぶりに涼しく気持ちいい。

 道端に風で壊れた傘が捨ててある。1時間の散歩コースの間に9本の壊傘があった、いずれも安物のビニール傘ではあるが壊れた傘は持ち帰るものではなくその場に捨てる者が多い。

誰かが片付けることを当たり前としている。

 嫌な世の中だ。

 

犬も食わない話ですが

 朝食の用意をしながら「洗濯、掃除、買い物、三度の食事と自分だけが忙しい」対して僕は朝のウォーキングが終わったら1日中クーラーの効いた部屋でゴロゴロしていて何も手伝わない、と文句ダラダラ。

「家事に文句を言うようになったら終わりやな、俺の面倒をみるのが嫌になったら別居しかない」

 僕の一言に女房が切れ罵詈雑言を浴びせてきた。

2時間もすれば平常心の戻る女房のことだ、僕は馬耳東風を決め込む。

 買い物に出かけた女房が昼12時を過ぎても帰って来ない、12時40分になった、さてどうするかと思っているとき帰ってきた。

「昼飯を作る気はないんか」

「無いよ」

 じゃあ仕方ない外食に行くかと身支度をしていると、テーブルに昼食が並んでいた。

 買ったトンカツだ、作る気がないから出来たものを買ってきたのだ。

 それでも、1日中話に乗って来ない。

「静かでいいや」

 僕もダンマリだ。

 

疲れた

 朝4時に目覚めたが朝のウォーキングに出発しようとする気が起きない。

 とくに悪いところもないのに動くのが億劫だ。ついに、ウォーキングをあきらめて寝なおした。それでも時間通り6時半に朝食を摂ったがテレビの前で仰臥しているといつの間にか寝ていた。

 1日中この調子だった。

「昨日のバスツアーは疲れた」

 女房が言った、僕も疲れていたのだろう。