僕の気楽飛歩(きらくとんぼ)日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

グループ旅行・九州、フェリーの旅

9月3日(火)

 今週末にフェリーでドライブ旅行に行く予定にしている。

 僕も後期高齢者になった。高齢者の自動車事故が社会問題になっているなか、長距離ドライブは控えるべきだ。今回をもってグループによるドライブ旅行は終了することとした。人生最後のグループドライブだ、思う存分に楽しみたい。

ところが台風13号とかち合いそうだ。毎日、予想進路とにらめっこしている。晴れてほしい。

 

9月7日(土)

 台風13号は九州西方海上を通って朝鮮半島へ行き、15号は関東の方に向いている。

僕らの旅行に影響はなさそうだ。晴れ男と豪語する僕の鼻はますます高くなる。

 午後3時わが家の車庫を発進して女性ばかりの同乗者2名を乗せながら和泉大津港フェリー乗り場に着いた。

 さっそく予約していた乗船手続きに行った。

「年寄りばかりで荷物が重いので同乗者も車に乗ったまま乗船したいのですが」

 とお願いすると「同乗者は車に乗ったままというのは危険ですのでお断りしています」

  受付の女性は困った顔をしていたが、再三お願いする僕を気の毒に思ったのか、同乗者票を出してくれた。

 フェリーの積み込み担当者に導かれるまま、暗い船内を上階に進んで指定された場所に駐車した。

「さあ、着いたぞ」

 車から降りた同乗者がトランクから荷物を下ろしている。

 僕は現在位置の確認だ。これをしておかないと下船のときに車の位置が分からなくて大慌てする。

「5階2番列の船首の方だ」と確認して頭に叩き込んだ。

 このフェリーは3回目である。手続きの際に部屋の鍵を受け取っているのでロビーへ寄らずに部屋へ直行した。

「さあ、今夜も快適な船旅だ」

 女房は荷物を置いてすぐに同乗者の隣の部屋へ 行った。僕はベッドの上に大の字になった。

 出港時間になった。同乗者を呼んで船首の展望ロビーへ入った。

 港を出た船は西に向いたとたん強烈な夕日が差し込んできた、前方の景色が見えない。これではだめだと席を離れて売店に向かった。

 レストランは団体客優先で僕ら一般客は30分遅れになった。

 僕らの時間がきた。

 好きな小鉢を集めながら進んで最後に料金を支払うと2200円になった。

 女房らは1000円を少しでただけだ。

「取りすぎだよ、全部食べれるか」

 女房にしかられたが僕はペロリとたいらげた。

 食事のあと再度展望ロビーへいくと、太陽が山に沈んだ直後だった。

「しまった、夕日が見れなかった」 

  僕がつぶやくと中央に座っていた僕と同年代の男性が「きれいだったで」と残念な気持ちを増長させるように笑った。

 部屋に帰ってテレビを点けたがあまり見たいものはない。窓から遥か向こうに燈あかりが小さく点在しているばかりだ。風呂へ行くことにした。

「男湯」と書かれた青いノレンをくぐるとホテルの風呂と見間違うきれいな更衣室と広い浴槽があった。湯に首まで浸かって目を瞑ると船の音は全然しないし、揺れもない。ホテルの大浴場と勘違いするほど快適だ。

 部屋を真っ暗にして寝るべきところだが、フェリーに乗ったときはいつも船の現在位置を示したテレビモニターを点けっ放しにしている。

 ひと眠りして目が覚めた。モニターを見ると来島海峡に差し掛かるところだった。めずらしく動力音が聞こえている、逆流の海峡を乗り越えているようだ。ぐらりとわずかに揺れた。昔から難所と呼ばれている海 峡を大型船はなんなく越えていく。

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 翌朝5時に目が覚めた。

 今日は9月8日(日)である。

 晴れている。二つの台風は九州を逸れて今日も明日も基本的に晴れだ。所により雷雨はあるらしいが大したことないだろう。

 レストランオープンの放送があった。女性陣は直ぐには外に出れないので僕だけが朝食を摂りにいった。

 6時下船だ。もう少し居たいがしかたない、全員を連れて車に乗った。

 日曜日の高速道路は空いている。小倉南インターで下りて県道を平尾台に向かった。

 平尾台山口県秋吉台とよく似た風景である。展望台からは遠くに雲海が見える。

「うわーきれい」

  女性陣が喜んでいる。

 計画では、鍾乳洞に入るつもりであったが、そのためには急な階段を200メートルほど下らなければならない。同乗の1人が足を骨折して直ったばかりなので無理はいけないと洞窟探検は取りやめにした。

 ナビに誘導されて中津城に着いたのは九時五分前だった。周辺を散策しながら開場を待って天守閣に上った。建物は鉄筋コンクリートで見るべきものもないが、景色が最高だった。

 次は女房の希望による福沢諭吉旧居と記念館だ。1万円札の肖像画になっている福沢諭吉のおいたち等を興味深く見ている。

 次は僕のお薦め、合元寺だ。

「戦国時代終わりのころ黒田官兵衛の子長政がこの地に入ったとき、この地には多くの地侍が先祖伝来の土地を守りつづけていたが、中でも宇都宮一族は 黒田氏に反旗を翻し徹底抗戦して、黒田氏は毛利軍の応援を得て攻撃したものの撃退されていた。そこで、長政は宇都宮氏の娘を娶ることで講和し、婚礼のため中津城に来た宇都宮一族を討ち、合元寺に控えていた宇都宮氏の家臣にも兵を向けて皆殺しにした。以後血に染まった寺の塀は何回塗り直しても赤くなったことから、とうとう塀を赤く塗ったという話がある」

 僕の知ったかぶりに皆は聞いてくれている。

宇都宮一族とその兵らを討った長政は、娶ると約束した宇都宮氏の娘鶴姫を山国川の千本松河原で13人の侍女とともに磔にし刑場に晒した。鶴姫と侍女たちの遺体は村人によって埋葬されたという。

 説明をしている間に次の目的地豊前高田昭和村に着いた。

 ここで僕が25歳のとき初めて購入したスバル360が展示してあるのを見つけた。

「これ、僕の初めての車やで」と皆に説明したがあま りにも小さいのに僕自身驚いている。

「こんなに小さかったかなー、乗り込むのも大変そうだ」

 そういえば当時、運転席に座ると目のすぐ前にフロントガラスがあったことを思い出した。フロントガラスのウオッシャー液が出ないので雨上がりの道を走るとき、ときどき停車してガラスに付いた土などをふき取らなければならないしエンジンが空冷だったので長距離の坂では直ぐにオーバーヒートして止まってしまったこと等々鮮明に浮かんでくる。

 町は僕の少年時の面影を残して懐かしい。

 丁度昼時である。どこかで昼食を摂りたいが、昭和時代そのままの食堂へは入る気がしない。

 町の入り口にあったレストランがきれいそうだと入店しカレーを注文した。同乗者の1人がトイレから帰るなり「あー、汚かった。新しい店なのにトイレは汚い、食事までまずくなる」と大文句。

「トイレまで昭和再現か」と疑いたくなった。

 次の目的地は大分のマチュピチュだ。

 小1時間で到着した。

「なるほどな、確かにマチュピチュに似ているといえば言えなくもないな」

 皆の感想だ。

 見晴らし台の近くで店を出している地元の人が5人ほど集まっていた。

 僕らがかき氷を買って食べようとしたが座る場所は、地元の5人が占領して動かない。

―なんやね、お客のためのイスと違うんかい。

 心の中でののしりながら立ったまま、かき氷を食べた。

 地元の男性は、山際に生えているススキの長い葉を器用に折って昆虫のバッタを造っている。

 それが、本物と見間違うほどの出来栄えだ。

「すごいな」と見入っていると「ほい」っと女房 にくれた。売り物では無かったようだ。

 同乗者の1人も、欲しいというのを全身に現し出来上がるのを待って、とうとうゲットした。

 僕らは大いに気を良くしてその場を離れ、ホテルへ向かった。

 国道を走っていると「竜門の滝が近くにあるみたいやで」女房が看板を見つけた。

「計画には入れてないよ」と無視しながら走っていると「次の交差点から6キロしかないよ」とまた女房が標識を見て言った。

「しかたない行くか」と急きょ方向を変えて竜門の滝に向かった。

 ここは、娘が中学生のときに来たことがある。滝滑りができることで有名だ。娘は水着になって滝を滑り下りた。

 今日は水量が増えているが、子どもたちが滝滑りを楽しんでいる。

「すごいな」

 同乗者が大喜びだ。

「ここは計画に無い場所だから別途料金を請求するよ」と冗談で返した。

 国道をホテルへ走っていると、突然雷雨に襲われた、前が見えないほどの豪雨である。

「すごいぞ、あっという間に道が川のようになってきた」

 キャーキャー言いながら走って行くと直ぐに豪雨地帯を抜けた。

「さっきの所からは1キロほどしか離れていないのに、この辺は降った形跡もない、さっきの雷雨は狭い地域限定だな」

 と言いながら走っていると、前を走行している乗用車の助手席側の女性が窓から手を出して方向を示した。そこには巨大な入道雲が上がっていた、あの下が雷雨だったようだ。

「今日は、7か所も周ったね」

 同乗の女性たちも大満足のようだ。

「朝の六時すぎから動いているからね、早起きは三文の得だ」

「まだまだ、楽しみはあるよ今晩泊まるホテルは高原の宿で露天風呂からの満点の星が売り物だから楽しみだ」

 もう次のホテルを楽しみにしている。

 四時半にホテルに着いた。

 食事は6時からだ、もう少し時間がある。

 窓から阿蘇五岳が見えていて、その右端の方から黒煙が上がっている。これまで何回も来て阿蘇に登っているが、こんな煙は見たことない。

先月29日以来、現在も噴火が続いており、8日には噴煙が火口上空1000メートルまで上昇するのが確認された。とある。

僕らが宿泊したのは8日だから、まさに噴火を見た のだ。

 夕食に行くとバイキングとは違う豪華な料理が並んでいた。ホテルには大勢の団体客がいたが別の場所で食事をしているらしい。

 驚いたことに生ビールが飲み放題だ。とは言っても僕は中ジョッキ1杯が限度だ。

 8時から星空観察に案内すると館内放送があったが、僕は酔っていて行く元気もない。ところが曇り空のため星は見えない。おそらく中止になっただろうと思いながら寝てしまった。

 夜中の2時に目が覚めると窓から見える範囲で星空が出ていた。大阪とは比べようもないほどたくさんの星だった。窓のカーテンを開け、星空を観ながら眠りについた。

 

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9月9日(月)

 今日も晴れている、ありがたい、ただし暑くなりそうだ。

 ホテルをチェックアウトして、車を発車させようとしたとき、「ちょっと寄り道してほしい」と女房がナビに電話番号を入れた。すぐ近くにある阿蘇山の絶景スポットで有名な道の駅らしい。

 予定にないが行くことにした、ところが目的の施設は閉鎖されていた。女房の持っている旅行案内雑誌が古かったのだ。

 そこでUターンして今日の目的地小松地獄へ向かった。筋湯近くにある熱泉の噴気場所で狭いものの見ごたえはある。女性陣もびっくりしている。

タマゴを温泉蒸しする籠が置いてあった。だれでも自由に使っていいらしいが残念なことにタマゴを持っていない。

車を20分ほど走らせて九重高原に着いた。

長者原ビジターセンターに入った。ここで20分ほどのビデオを見せてもらった後、直ぐ後方にあるタデ原湿原を1時間ほど散策するつもりでいたが強烈に暑い。湿原だから陽を遮る木もない。

「どうしょう」

 と迷っていると「森林の中を散策するコースもあります。気持ちのいいコースですから是非行って見ては」と職員に勧められた。あらかじめ計画していたコースでもあるし、「行こう」と外へでた。

 日差しはきついが、それほど暑くはない。さわやかな風が流れてくる。

「来てよかった」

 皆が満足して森の中の木道を1時間ほど散策した。

 もう10年ほども前に来たとき近くのレストランでカツカレーを食べたら、トンカツがものすごく美味かった記憶がある。黒豚のトンカツだったのだ。

 今日も同じレストランへ入って皆がトンカツ定食を食べた。

 昼食が済むと13時を過ぎていた。フェリーの出港時間は17時半だから16時には乗船手続きをしたい。乗り場までは2時間半ほどで着く予定だが、渋滞していたら大変だ。

ナビに電話番号を入れると福岡回りのコースが出た。これはダメだ、渋滞に掛かる可能性が大きいと距離は少し長くなるが中津経由にセットして出発した。途中、パーキングエリアで一回休憩して15時すぎにフェリー乗場に到着した、やれやれだ。

「年寄りばかりで荷物が重いですから同乗者を乗せたまま乗船したい」

  とお願いしたら「危ないからお断りしています」と断られた。

「そこをなんとか、1人は足を骨折してまだ完治していませんから」とおおげさにお願いすると、足の不自由な方だけ同乗してください」という始末だ。

 ついに諦め、女性陣は重い荷物を持って僕と離れた。

 船内は混んでいた。

 レストランも団体客優先で僕ら一般客は30分遅れで食事になった。時間になったのでレストランに行くと、あら不思議だ、客が少なくテーブルもずいぶん空いている、団体客が多いようだ。

 

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 泉大津港に着いた。

 下船のため駐車場へ下りようとすると5、6人の年配女性が引き返していた。入口で女性の乗組員が客の1人ひとり確認して許可を取っていない同乗者を締め出していたのだ。

 乗用車の下船が始まった。僕の車は最初の方で積み込んでいるので、なかなか順番が来ない。やっと周りの車が動き出した。

 さあ、僕の番だとスタータースイッチを回したが、「あれ、始動しない」2回、3回と試したがスターターモーターが動かない、もう僕の番が来ている。誘導していた船員が来て、エンジンがかからないことを確認し、バッテリーがあがってしまったと判断して取りよせている。でも、バッテリーは今年の3月に交換したばかりで旅行まえの点検でも問題なかった。それに僕の車は下車時に電気の消し忘れやハンドア状態では車のロックができないからバッテリーではない。始動キーを回してもスターターがウンともスンともいわない。何回もキイを回し直して7回目のときエンジンがかかった。

「ありがとう」と船員に礼を言って下船した。一番最後だった。

 車は調子よく走り、わが町に着いた。同乗者を1人ずつ下ろして最後にガソリンを入れるためスタンドでエンジンを切った。ガソリンを満タンにして発車しようとエンジンをかけようとしたが、また動かない、何回試してもだめだ。スタンドの邪魔にならない場所に移動するため社員にお願いして後ろから押してもらったが、ハンドルが動かない、力いっぱい回してやっと目的の場所に着いたがブレーキも効かない。あわててハンドブレーキを引っ張って止めた。

 ここでも、始動を試したが動かない。修理工場は10時開店だから3時間も待たねばならない。

「ひとまず、家まで1キロほどを歩いて帰るしかない」と荷物を取り出したがもう一度試してみようと車に乗り込み2回、3回とスターターを回そうとした。4回目、エンジンが動いた。

「助かった、これで家まで歩かなくて済む」

 車は調子よく走って家に着いた。

車庫に入れて、荷物を降ろしたあと、もういちど念のため始動して見たが、ウンともスンとも言わない、完全な故障だ。

 新車のときから大切に乗って来た愛車だから、いつまでも新車だと思ってきたが、僕と同じく歳をとっていたのだ。

 

 後日、ロードサービスをお願いして点検してもらうとスターターモーターの故障であった、交換が必要だ。

 この故障が旅行中であったら大変なことになっていたであろう。数日間修理店に車を預けて僕らだけ一旦帰って再度引き取りに行くか、現地で廃車にしてしまうかをしなければならない。

「よくぞ我々を無事に連れ帰ってくれた」

 先の大戦で、軍馬が重傷を負いながらも主人を隊まで連れ帰って死亡した。という話を思い出し、

「ありがとう」

 と愛車を心からねぎらった。

 

 

また薬が増えた

「薬は効いていますか」

泌尿器科検診で意思の問いかけに、

「チョロチョロは無くなり勢いよく一気にでます。頻尿は相変わらずです」

「夜と昼どちらが多いか」

「夜は2回ぐらいですが、昼は1時間半ごとに行っています」

「それで、我慢できるか」

「これでは長距離電車に乗るとき、トイレ付きの車両に乗らなければならないし、バスツアーにも乗れないから困ります」

「膀胱が過敏になっているようだから、落ち着かせる薬を出しておこう」

 ということで、これまで飲んでいた「シドロシンOD錠」と新たに「ベタニス錠50ミリグラム」を処方された。

 夕食後、薬を飲んだ。

 その夜、いちどもトイレへ行かなかった。

 

 

近畿ローカル列車独り旅(日帰り)

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 8月初めに青春18キップで信州を旅した際、5枚綴りのうち4枚しか使用しなかったので残り1枚で日帰りの独り旅をすることにした。 今回は大阪―(福知山線)―福知山―(舞鶴線小浜線)―敦賀―(湖西線)―大阪周りとした。

 

福知山線

 大阪駅の5番線ホームに上がった。列車に乗るとき面倒なのが加齢による頻尿気味であるため、トイレのある車両に乗らなければならないことだった。ローカル列車は単車両か2両編成が多いからどの車両に乗っても問題ないが、東海道線のように12両編成ともなると、トイレ近くの車両に乗っておく必要がある。JRは普通西から1号車、2号車と繋いでいて1号車にトイレ付きの車両を繋いでいる。福知山線のように南北に縦断する列車はどの車輛に付いているか分からないが、大阪を出るとき西へ走るから先頭車にあるだろうと予測して先頭に並んで入線を待った。はたして先頭は1号車でトイレ付車両だった。

 大阪駅発福知山行きは通勤時間帯の満員で出発した。

 尼崎から東海道線を離れ北上する福知山線は、昭和39年、大阪に就職してから結婚するまでの5年間、帰省に使っていた思い出深い路線である。

 そのころ福知山線は宝塚を過ぎて生瀬辺りから武庫川沿いを走っていた。対岸は岩石露出する峻険な山が一気に立ち上がって、とくに雨の日などは山の頂が霧にかすみ墨絵のような美しさがあった。好きな絶景ポイントであったが今はトンネルで直線化しスピードアップされている。その分景色は見れなくなった。駅もホームの大部分がトンネル内に潜り込んだめずらしい駅である。

 廃線跡は人気のウォーキングコースで、僕もウォーキンググループを主宰していたとき、このコースを歩いたことがある。コース入口にJR廃線敷であるため立ち入り禁止になっていたが誰もが無視していた。当然、整備などは全くしてなくトンネル内に電燈も点いていなかったから、懐中電灯持参であった。このコースは2016年に「自己責任」を条件に解放され、道も徐々に整備されている。

 満員だった乗客も新三田駅を過ぎた辺りから空いてきた。車窓には山里の田園風景が広がっている。僕の好きな車窓風景だ。

 計画段階で太陽の位置と列車の進行方向を見極めて逆光にならないようにすることが重要だが、今回も忘れてしまった。結局、車内が空くまで逆光側の席に座ってしまった。

 筋向いの座席に僕と同年配と思われる男性4人組が陣取り、大声で話がはずんでいる。どうも同窓生のようだ。

屋根にトタンを被せた茅葺民家が多い、それらは広い屋敷を持ち周りは畑で囲んでいる。

 独身のあるとき、帰省で乗っていると、線路のすぐ近くの山際にある畦道を大きな尻尾を垂らしたキツネが悠然と歩いているのを見つけた。「あ、キツネだ」と思わず声をだしたが、周辺にいた通学中の女性徒は「うん?」と反応したが、キツネを見ても驚きもしなかった。おそらく今でもキツネはいるだろう。

 稲が頭を垂れた田んぼもちらほら見えている。中には稗(ヒエ)が稲穂を凌駕しているところもある。

 ヒエは稲と同じ種(しゅ)であるため除草剤が効かず、手で1本ずつ除草しなければならない。

 僕の幼少期、自分の家の田んぼにヒエが生えていると「あの家の田んぼにはヒエが生えている」と言って蔑んだものである。これは「あの家の嫁は怠けものだ」ということである。

 ヒエは稲より成長が速いため遠くからでも目立つ。わが家でも一本でも生えると直ちに抜いた。家の庭にはゴミがあっても気にならないが田んぼのヒエは恥ずかしいのだ。

 田んぼにシラサギがたたずんでいる。ひょっとしてコウノトリが居るかもと思ったが見つけることは出来なかった。兵庫県の但馬地域はコウノトリの里である。

福知山駅に着いた。列車を降りると涼しい風が吹いていた。いったん改札を出てコンコースにあるコンビニで昼食のオニギリと清涼飲料をゲットした。前回の信州独り旅から災害時に備えてのカンパンを持参している。万が一弁当を買うことができなかたときの為であるが今回はその必要はないだろう。次の電車の時間まで40分ほどあるので待合室に座ったが、ふと横に喫茶があるのに気づいた。しめしめ、コーヒーが飲めると店内に入った。ホットコーヒーを注文すると豆を挽いて淹れてくれた。さすがに美味かった。

 ゆっくり時間を潰してレジに立つと、すぐ横にある衝立のような仕切り壁に30本ほどの傘がぶら下がっていた。

「これ、忘れ物?」

 と聞くと、「そうです」と答えが返ってきた。さすが「弁当を忘れても傘を忘れるな」という地域だ。

 ホームに上がると城崎行が停まっていた、車両内に例の同窓生4人組が座っていた。あいかわらず話がはずんでいるようである。

 

 舞鶴線小浜線

 福知山駅を出た電車はまもなく川に差し掛かった。これまでいくども氾濫して市内の多くを水没させた由良川だった。川の中には大きな柳木が生い茂っている。これらを取り除き、川底を掘ればもう少 し水害も少なくなるだろうに、何かの理由でそうもできないのだろうか。

 昭和44年の春、城崎から富山までこの線を通る急行「あさしお」に乗った。「あさしお」は出雲市と金沢を直結していた列車である。ただしこの列車はわずか4年で終了となった。

 車窓の外は夏であるが車内は冷房が効いて寒いぐらいだ。さらにガラスには薄いスモークが入っているらしく、景色に暑さはでていない、夏以外の季節に見えるから不思議だ。体の上に羽織るものを忘れてきたことを後悔した。乗客の乗り降りが多い都市近郊の列車は冷房も強めに設定しているのだろう。

 沿線の山には肌色のような常緑樹の花が咲いている。春の花とは違って派手さはなく新芽のように見えるが、夏が花の季節だ。現在、肌色という言葉は使わないが、透明水彩絵の具でいえばジョーンブリアンもしくはシェルピンクだ。

 線路近くの民家と並んで建っている土蔵の横を大きなサルが1匹歩いていた。近くを僕の乗っている電車が轟音を立て通過しているのに全く眼中になく悠然としている。

 外は曇っている。これなら下車して観光地を歩いてもよさそうだが、どこがいいのか調べてもいないので下車は止めておく。

 小浜線沿線ではすでに稲刈りをしている田んぼもある。旅を始めた時期を9月の初めにしていたなら、もう少し黄金の田んぼを観ることができただろう、と残念な気もする。

 海水浴場が見えてきた。ときどき泳いでいる人は見かけるが、平日だから少ない。

 僕の幼少期は海水浴場には飛び込み台が当たり前のようにあったが、どういう理由(わけ)か今は無いようだ。

 線路脇に並んでいる木立の隙間を通して遥か前方に市街が見えてきた、終点の敦賀だ。列車はいつの間に高地へ上っていたのか、市街がずいぶん下に見える。

 列車は市街地を回り込みながら坂を下って、やがて敦賀駅に着いた。

 ホームを涼しい海風が流れている。

 やがて5分遅れの新快速が到着した。降りる客が降り切らないうちに乗客が乗り込み椅子の背もたれを反対方向に押しやって席を確保している。

大阪駅から関空快速に乗った。ここも席の取り合いである。幸いにも優先座席に座ることができた。

 2人ずつ向かいあうボックス席の前の席に30代のカップルが乗っていた。大きなキャリーケースを通路と網棚に置いているから海外旅行に行くようだ。気が高揚しているのだろう大きな声で話しがはずんでいる。女性の方はスマホで何かを見ながら話している。

「ここは優先座席だよ」

 と言いたいが、カップルはそんなこと百も承知で乗っているのだ、それに優先座席は善意をもらうもので強制するものではない。文句を言い反感をくらう方が損だ。

 それにしても信州へ独り旅をしたとき、どの列車に乗っても、若者は空いている優先座席に座らないことに驚いた。関西の若者は優先座席を無視する者が多い。

 

 

 

パソコン

 最近、中学生の孫がパソコンを使うからと言って僕のを持ち帰ってしまうことが多くなった。「パワーポイントでプレゼンテーションをするが、親のパソコンはウインドーズ7だからだめ」らしい。

「え、今どきセブンなんか使う者はいないよ、新しいのを買ってもらい」と言っているが親は「十分使えているから買わない」と言っているらしい。

糖尿病検診3回目

 前回から2か月開いている。

「飲食に極端な制限をしていませんか」

 医師の意外な質問にとまどった。

「たまに、数値を下げることに熱中している患者さんがおられるが、あまり体や精神にストレスを持ち込むと反動で一気に上がってしまい取り返しのつかないことになる方もおられる。あなたはそんな方ではないですよね」

「特に、苦しいほどの制限はしていません」

「あまり無理な制限をしないよう十分気をつけてください」 

 治療をはじめるとき血糖164、ヘモグロビンA1c7.8だったものが2回目で血糖134、ヘモグロビンA1c7.2になり、今回は血糖130、ヘモグロビンA1c6.6に下がっていた。前回は空腹時血糖であったが今回は食後3時間半の数値だから、ほぼ正常値に戻っている。

 医師の心配しているのは低血糖のようだ栄養失調と低血糖のようだ。

「これからは、あまり無理をせず、平常の食事がどの程度までいいのかを探っていきましょう。甘いものも適当に食べてください」

 と70日分の薬を処方してくれた。

おばあちゃん盆の考えかたが間違っていたよ

 今年も盆は何事もなく過ぎた。「何事もなく」とは盆の行事もなく、わが家でも特に何もしなかったということである。一応、墓参りと仏壇に供花はしたが、それだけだ。

 ひとりで盆ダンゴを作って食べながら、ふと祖母は盆に対する考え方が違っていたことに気づいた。

 盆入りの日の夕方、墓へ参って「ご先祖さまを家に呼び、家族とともに盆を過ごして最終の日に帰っていく先祖を送くる」というのが世間一般の考え方のようであるが、わが家には「迎え送る」という考えがなかった。だから、盆の期間中仏壇には燈明をかかさず供花、供物とねんごろな念仏を唱え、毎日夕方には墓参をしていた。

「盆の間、ご先祖さまはわが家へ来ているんだろ、墓参りは盆入りの日と送る日だけでいいんじゃない?なにも留守になっている墓に参る必要があるのか」

 中学生のとき、祖母に聞いた。

「つべこべ言うな、うちにはうちのやりかたがあるんだ」

 祖母の回答だった。

 まったくそのとおりで、どれが正しいとは言えないだろう。

 形式はどうであれ盆に限らず毎日夕方には仏壇の前に座りねんごろな念仏を唱えて先祖を敬う気持ちは人一倍強い祖母だが、やはり間違えていたと思った。

 

カブト虫は成虫になることをあきらめたようだ

 いつまで経っても白い幼虫のままでいる。さなぎにもならないで動き回っている。

「カブト虫は5月から6月ごろさなぎになって、ひと月もすると成虫になるはずだけど、このカブト虫は幼虫のままでさなぎになる気配もないから、もう今年はだめだな、

だから、爺ちゃんが家で面倒をみてあげるからね。命がつきるまで、ちゃんと世話してあげるからね」

 孫に言って家へ持ち帰った。