僕の気楽飛歩日記

戦中派老人の赤裸々な日記から

いまさらどうでもいいことですが

「お父さん、頭のてっぺんに黒い髪がウショウショショーと生えてるで」

 今朝、パソコンの前に座っている僕の後ろに立った女房が言った。

 40代から白髪になった僕は、現役時代は黒く染めていたが退職と同時に丸刈りにしている。

 元来横着者の僕は40数年間「たいぎやたいぎや」とぼやきながら働いていたが、退職して12年、我が髪にも元気がでてきたようだ。

少年の記憶(2)

 僕の通った小学校は全校生徒が250人ほどで1学年は約40人の1クラスだった。

 級長は先生が選任し1年間の任期だったから、当然成績の良い男子生徒が級長になり、女生徒が副級長になった。

 僕のクラスでは1年から6年になるまで級長はR君、副級長はK子さんが務めた。

 R君の成績は常にトップのうえ性格温厚で優しく決して怒ることはなかった。小学校在学中及び中学校を卒業するまで一度も声を荒げたり怒ったこともなかった。

 そのうえ運動機能も良くすべての運動で優れていた。

 いつも級長をしていながら決しておごることなく控え目であったから、誰からも一目置かれた存在で男女問わず誰からも好かれていた。

 毎年3学期には学芸会が催された。この日は各クラスが歌または器楽合奏と演劇を演じた。

 演劇ではクラス全員がセリフを言うように企画されていたから演劇の主役は級長と副級長が受け持ち僕らはただひと言のセリフを言った。

 6年のとき、演芸会の前日、衣装を着て本番と同じリハーサルがあった。演目は失念してしまったが僕の役はおじいさんでおばあさん役の女生徒と二人で舞台へ上がった。お寺参りの役だった。

お爺さん「おばあさんや、今日は天気も良いし、お寺へお参りに行こうかね」

お婆さん「ほんに良い天気ですね、お寺へ行きましょう」

 これだけのセリフだった。しかも物語の進行とはまったく関係のない付け足しだった。

 僕は舞台の上で、情熱を込めて年寄りのようなしわがれ声を出して僕のセリフを言った。

 ドッと舞台の下から爆笑が起こった。

「なに?」とキョトンとしている僕の横にいた主役のR君が「おばあさん」と教えてくれた。

「おばあさん」というところを「おじいさん」と言ってしまったのだ。

 本番当日、僕は「おばあさん、おばあさん」と心の中で唱えながら舞台へ上がった。

 僕のセリフの番が来た、そのとき「おばあさん」とR君が小さな声で教えてくれた。彼なりに僕のことを心配していてくれたのだ。

「おばあさんや・・・・」

僕はしわがれ声を出し心を込めて言い切った。R君は自分の次のセリフに入っていた。

「うまかったぞ」

舞台を下りた僕を先生が迎えてくれた。先生も心配していたようだ。

 

 中学校は村内にある2つの小学校が一つになった。各学年が2教室になり同級生も50数名になった。

 中学では1学期は学校側の選任だったが2,3学期には選挙により生徒が選んだ。それでもR君とK子さんの級長副級長は続いた。

 高校はR君1人だけが、通学時間が1時間もかかる進学校へ合格した。

 僕の通う学校と同じ列車であったから、ときどき彼の姿を見つけることはあったが彼は列車に乗るとひとり離れた席で教科書を広げ熱心に勉強していた。

もはや近寄りがたい存在になっていた。

 高校を卒業して僕は就職のため離郷した。R君はどうしたのか分らなかった。

 同窓会にR君は出てこなかった。

「国立大学の受験に失敗してから変になった」という噂を聞いた。驚いた、何をやってもそつなくやりこなす彼が、大学受験に失敗したからといって人生を狂わすほど潰れるなんて考えられない。そんな男だったのか意外だった。

 50代のとき「R君が田舎に帰っている」との噂を聞いた。

 それから数年後、帰省時にR君の近所にある魚類加工販売店へ買いものに行ったとき、数軒隣になるR君のことを話に出すよと、「あいつは廃人じゃよ」と店のおやじさんが言った。

 翌朝、一人で海辺を散歩しているとR君によく似た、僕と同じ年代の男性が対向してきた、

 50数年ぶりの再会であったが間違いなく彼だと思った。近づいてきたとき、「やー」と僕から挨拶した。彼は僕の顔を見ようともせずうつむいたまま無言ですれ違った。

 古希同窓会を開いたとき、R君は物故者に入っていた。

 あれほど勉強が良くできて優しいR君の生涯を思うと僕の心に寂しさがあふれていた。

 同窓会は懐かしい友に会えて嬉しい反面亡くなった友を思い侘しさを伴うものだと気づいた。

 嬉しさや楽しさより侘しい気持ちが強かった。

 R君の冥福を心から祈るとともに、これからは同窓生も次々と欠けていくだろう、もう同窓会には参加しまいと思った。

 

 

今日は何の日?

 スーパーマーケットへ行くと入口近くの通路をふさぐようにチョコレート特設売り場ができていた。店内へ入るのも人を分けて行かなければならないほどだ。

 

 わが家の三人の女は知らん顔をしている。昨年までは孫娘と娘がわが家までチョコレートを持ってきてくれたし女房からもくれた。

 今年は知らん顔だ。

「今日はバレンタインやな」

 夜、しびれを切らした僕が女房に話しかけると、「そうやな」で終わりだ。

 

 この歳になってチョコレートもらっても嬉しくもないやろと自分で慰めて夜はふけた。

今夜、風呂やめとこか

 寒い日がつづく。

 こんな日は家に閉じ籠っているのに限るが、娘から「娘が昨夜から熱をだして寝込んでいる、医院に連れて行ってほしい」と呼び出された。

 幸いにインフルエンザではなく普通の風邪だった。

 夜、「今夜は寒いから風呂はやめとこうか」と女房が言った。

 昨年の12月、近所の知人が急逝した。元気に新年会に行き、二次会にも行って帰宅後、「寒いから風呂に入って温まる」と入浴してそのまま死んでしまった、74歳だった。

 数日後、テレビで高齢者の死亡原因で一番多いのは風呂での事故だと言っていた。

 その後、僕らも特に寒い日は入浴を控えることが多くなった。

 死が怖いのではなく入浴しない名分が出来たからだ、もともと寒い日に風呂に入るのは好きでない。

ブツブツ

 小5の孫が中学受験のための猛勉強をしている。4年生になったころから自分の意志で勉強を始めて夜は電車で熟へ通い帰宅は9時過ぎだ。

 塾の成績は良い方らしく本人もやる気をもって机にかじりついている。

 ところがたまに息抜きに物語本でも読んでいると、「勉強しいや」と父親も母親も容赦ない。

 僕から見ると精神的に追い詰めているようにしか見えない。

「あんまり追い詰めるなよ」と僕が娘に言うと、娘が怒りだした。

「本人が行きたい学校があるから勉強している、あんな勉強のしかたでは落ちるだけだ、爺ちゃんは口出しせんといて」とカッカしている。

 

 僕は親がどんな無理難題を言っても怒ることはなかった、腹が立たないのだ。

 娘は僕の子だから僕と同じ性格だと思っていたが違うらしい。

 これからは孫も親も受験でイライラするだろう。

「危ない危ない」、ソッと知らん顔をしておくことだ。

「サクラ サイタ」をひたすら遠くから待つしかないだろう。

幼稚園の発表会

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 昨年の秋、「生きていくのがつらい」と5歳の孫が母親の前でつぶやいた。びっくりした母親がよく聞いていくと、発表会の練習がはじまったらしく、間違ったら怒られることのボヤキだった。

「それにしても、あんな言葉はどこで覚えたのだろう」と父親と話し「どうもテレビのある番組で出てくる言葉らしいと分かってひとまず安心した。 

 3歳から6歳までの園児をここまで仕上げる先生の苦労も大変だったのだろう。

 よく統制がとれていて、りっぱな発表会だった。

雪だ

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 今冬初めての積雪にびっくり、3センチほどの積雪だ。早朝、起きて外にでるともう雪だるまが出来ていた。

 雪国の人にはこっけいに写るかも知れないが、これでも数年ぶりだ。